土曜更新 日本史 内閣総理大臣編 今日は平沼騏一郎(在職1939.1~8月)第一次近衛文麿内閣の後継内閣である。首相になる前は枢密院議長であった。

テストに出るポイント

ノモンハン事件(1939.5)→満州国西部とモンゴル人民共和国の国境地帯(写真参照)でソ連・モンゴル連合軍と戦うもソ連の戦車軍団に完敗する。戦闘中に独ソ不可侵条約(1939.8)が結ばれたため、国家情勢の急変に対応し得ないとして「欧州の天地は複雑怪」と声明し総辞職。日本とすれば日独伊三国防共協定(日本史 内閣総理大臣編39 第一次近衛文麿内閣(前編) 参照)を結び、日本もドイツもソ連を仮想敵国としていただけにドイツとソ連の仲直りは想定外だったとされる。しかし、ドイツはポーランド、フランス、イギリスに攻め込むつもりであり(1939.9月にポーランドに攻め込み第二次世界大戦がはじまる)この時はソ連を敵にまわしたくなかった意図がうかがえる。(1941.6月に独ソ不可侵条約はドイツが破棄。フランスは降伏していたが、イギリスはチャーチルの踏ん張りにより降伏しない状態での対ソ戦開戦だった。)

国民徴用令公布(1939.7)→一般国民が軍需産業に動員されるようになる。

日米通商航海条約廃棄(1939.7)→アメリカはアジア・北太平洋地域との自由な交易関係の維持を重要な国益と認識していたため、日本が「東亜新秩序」(日本史 内閣総理大臣編39 第一次近衛文麿内閣(前編)③参照)形成に乗り出すと、これをアメリカの東アジア政策の本格的な挑戦とみなし、日米間の貿易額は減少しはじめた。さらに日独間の軍事同盟締結の動きが伝えられたので日米通商航海条約廃棄を日本に通告。日本の軍需資材の入手はきわめて困難になる。

平沼騏一郎は退陣後、松岡洋介外相と閣内対立したり、東条英機内閣の倒閣と活躍するが、ポツダム宣言を受けいれるかどうかの御前会議で受け入れの姿勢をみせるも、それまで曖昧な態度だったこともあり、戦後、GHQから東京裁判でA級戦犯に指定される。

「たちあがれ日本」の代表だった平沼赳夫(たけお)からみて曾祖叔父にあたる。

次回は阿部信行。

14:30教室入室とほぼ同時に紀伊中1生母よりtel。今日の授業Cコマに変更。時間曜日変更多く、迷惑かけるので1月より金曜Dコマに戻すはなし。先生はもとに戻すつもり。

15:00授業スタート。授業に入る。岩出小6生 国算 確認テスト 狂言、詩、反比例。岩出中3生 英語 ジョイフルUnit6の2(仮定法過去)

16:30紀北農芸高1生 英語 vista Lesson5の1(マダガスカルのはなし)授業後、家族親戚6、7人で幸の湯へ行くとのこと。仲良くていいですね。

18:00紀伊中1生 数学 円周、円の面積。昨日、父弟とジストシネマで「ラーゲリより愛をこめて」(二宮和也主演)を見て感動した。シベリア抑留の映画のよう。

19:30授業終了。今日は寒かった。明日は休。(月)は16:30より授業。