土曜更新 日本史内閣総理大臣編。今日も第一次近衛文麿。今日は戦争に向けての国内体制の確立について。

テストに出るポイント

国家総動員法(1938.4)制定→政府は議会の承認なしに物資や労働力を動員する権限を与えられた。(写真は中学歴史教科書より)お寺の鐘がならないなと思ったら鉄を供出するために無くなっていたというはなしがある。

同時に制定された電力国家管理法は民間の電力各社を単一の国策会社に統合するもので政府が私企業への介入を強めるきっかけとなった。

企画院によって物資動員計画を作成。軍需品を優先して生産。軍需品生産を行った財閥が莫大な利益をあげることに。

国民精神総動員運動(1937.10より)→国家主義・軍国主義を鼓吹し、節約・貯蓄など国民の戦争協力を促す。(NHKアーカイブス「時局に処する国民の覚悟」 参照)

産業報国会(1938)の結成→警察の指導で労働者・資本家一体の協力を図る。既存の労働力の一部が改組される。→1940年には全ての労働組合が解散させられ大日本産業報国会となった。

三国防共協定(1937.11)→社会主義国(ソ連)を仮想敵国とする日本ドイツイタリアの提携。

張鼓峰事件(1938.7~8)→日中戦争中のソ連の出方を警戒していた日本は、ソ連東部と満州国の国境不明確地帯(ウラジオストクの南西)においてソ連軍と戦うも苦戦。日ソ間の交渉が行われ停戦。

矢内原事件(1937.12)、人民戦線事件(1937.12、1938.2)→植民地経済政策の研究者であった矢内原忠雄が政府の大陸政策を批判したことで大学を追われ著書も発禁となった(矢内原事件)大内兵衛らの教授グループが人民戦線(社会主義集団、コミンテルンの意味に近い)を図ったとして検挙された(人民戦線事件)

第一次近衛文麿内閣は3度の近衛声明(日本史 内閣総理大臣編39 第一次近衛文麿③ 参照)により日中戦争が泥沼化。内閣不一致の状態となり当時の内閣は大臣の罷免権(辞めさせる権利)がなかったことから総辞職する。

次回は平沼騏一郎。

14:00教室入室とほぼ同時に紀伊中1生母よりtel。午後クラブが入ったとのことでCコマの授業に出来ませんか?

15:00授業スタート。授業にはいる。岩出小6生 国算 八木重吉の詩、反比例。髪型と眼鏡が新しくなっていた。

16:30紀北農芸高2生 数A  教科書平面図形10ページほど。期末テストもよかった。数国はいつもいいのだが2学期は世界史も上がっていてほっとしていた。機嫌よく話してくれるのがうれしい。

18:00紀伊中1生 数学 クリアノート 作図。こちらも機嫌よく話してくれるのがうれしい。

19:30授業終了。今朝、左肩と左腕の辺りの筋が切れ(五十肩?)。苦しみながらの授業だったが生徒にはできるだけそうした様子は見せないよう振舞った。今は左肩の骨折治療のように包帯替わりに肩からマフラーをかけている。月曜には痛みが引いてくれるといいのですが。

明日は久しぶりの休み。(月)は16:30より授業。