奇数週木曜更新 世界史 中国皇帝編 今日も乾隆帝

 互市貿易(朝貢以外の貿易)を管理するため、貿易港を広州一港に限定する(1757年)

貿易は公行(こうこう)という特許商人だけに認め、自由な貿易や海外渡航は禁止され実質的な鎖国体制に入った。に入れなかった福建や広東省の商人は清で商売をしても不利であると考え、東南アジアに海禁を破って移るようになった(南洋華僑という)

マカートニー使節団

イギリスの対中国貿易はの輸入が増大しつつあったが、産業革命を達成し、中国を大きな市場と考え、綿織物などの工業製品の輸出を進めようとした。

イギリスはこのような互市貿易による管理、制限を撤廃し、自由な貿易を保証する条約(あるいは協定)を締結しようと考え、マカートニーを使節として派遣。ただ直接の貿易交渉では受け入れられないので、乾隆帝の80歳の祝賀を国王ジョージ3世に代わって申し述べることを名目とした(実際には乾隆帝は83歳になっていた)。1793年9月、北京北郊の避暑山荘で乾隆帝への謁見を許された。はあくまで従属国の朝貢使節として扱い、三跪九叩頭(さんききゅうこうとう:三回跪き(ひざまずき)、九回頭を下げる)の礼を求めた。イギリス国王の使節であるマカートニーとしてはそれを拒否。結局、乾隆帝が度量の広いところを見せて遠来の労を労うという口実に、イギリス流に片膝を就いて親書を奉呈することで決着した。こうして謁見は実現したが、目的の条約締結については一切交渉できずに終わってしまう。(写真は乾隆帝に謁見するマカートニ)

乾隆帝の死後の皇帝(嘉慶帝・道光帝・咸豊帝)の間に清の国力は激減する(白蓮教徒の乱(1796~1804)→アヘン戦争(1840~42)→太平天国の乱→(1851~64)→アロー戦争(第二次アヘン戦争:1856~60))

アヘン戦争、アロー戦争はいずれもイギリスと清の戦争であるが、戦争の根っこは清の中華思想(中国が世界の中心)から来ている。だからといってイギリスが麻薬であるアヘンをインドから送り込んだのも道義的には悪いといえる。

次回は同治帝

14:20教室に入室しようとしたら廊下で女性が立っていた 元塾生と気づいたので声をかけ、教室に入ってもらう

14:20~15:10元塾生と近況をはなし 信愛大に行ったが小学校の先生にはならなかったようだ 実家を出て暮らしているとのこと 無添加グミをもらった(明日紹介) 「水槽のエビはどうなりましたか」以前、レッビーシュリンプやレッドファイアーシュリンプを飼っていたことがあった。

16:00新小6と新中1生の新年度教材が届く 長年取引していた教材代理店が昨年9月に閉めてしまったので、紹介されたブックス中川(福岡)にお願いした 日本教材出版(千葉)にしようかとも迷ったが、紹介してくれた方に

16:30授業スタート 那賀高1生 2年生の教科書表を持ってきてくれた さっと見たところ今の2年生といっしょだ

18:15と18:20初芝橋本高2生が来ないのでtelするも応答なし

18:25初芝橋本高2生からtel 寝ていた、頭痛いとのことで休 明日、振替授業をすることに

19:30授業に入る 粉河高1生 英語 applauseワーク 1年のまとめ6ページの後、Leap英単語宿題テスト範囲半分ほど 学校今のクラスがいいのでクラス替えは嫌だなとのこと

21:00授業終了 明日も16:30より授業