奇数週木曜更新 世界史 中国皇帝編 今日は徽宗(きそう:在位1100~25)北宋の8代皇帝
文化人としては一流で、風流天子と称され、院体画と呼ばれる写実的な画風を奨励し、桃鳩図(写真)という名作を残す。桃鳩図は日本に渡り、足利義満(室町幕府3代将軍)や井上馨(明治の元老)の所蔵になったこともあるもので現在、日本の国宝になっている。(たまに京都国立博物館で一般公開されることがある)
しかし、徽宗は外交面では失敗を重ねることに…
当時、北宋の北方の脅威であった遼は、皇帝や側近の頽廃(たいはい)により国勢が衰えてきていた。さらに遼の背後に当たる満州では女真族が完顔阿骨打(わんやんあぐだ)を中心として急激に台頭し、金を建てていた。金と協力して遼を挟撃すれば、建国以来の悲願である燕雲十六州奪還が可能であると捉えた徽宗は金に対して使者を送り盟約を結ぶ。
1121年、金は盟約に従い遼を攻撃したが、北宋は反乱の鎮定のために江南に出兵中であり、徽宗自身の決断力の欠如もあって、遼への出兵が遅れた。翌年、ようやく北宋は北方へ出兵するも失敗を重ね、金に援軍を要請した。金はこの要請に応え、遼を破る。この結果、盟約通りに燕雲十六州のうち燕京(現在の北京)以下南の六州は北宋に割譲された。
1125年、燕雲十六州の一部奪還に成功した北宋は、金に占領された残りの州の奪還を計画し、こんどは遼の敗残軍と密かに結んで金への攻撃を画策した。しかしこの陰謀は金に露見し、北宋に対して出兵する事態を招く。慌てた徽宗は謝罪の上、退位。長男( )に譲位して上皇となる。
この徽宗という人は日本史でいうと足利義政(8代将軍:文化面は優れ、政治的には今一つ)と足利義昭(15代将軍:日和見な感じだが野心家)を合わせたような感じか。
ちなみに金(1115~1234)は滅亡の年が1234年と数字が順番になっていて覚えやすい。
次回は
。14:20教室入室
15:00授業スタート 授業に入る 岩出中2生 英語 7.8月の語句テスト(Unit3)暗唱、夏休み宿題長文4ページ。二中3生 英語 新研究 10ページほど 志望校判定テスト(8/20(日)実施)の申込書を持ってきてくれた。
16:30那賀高1生 英語 ランドマークEncyclopedia 後半、vizion quest プリント 文型・自動詞・他動詞。
18:00山崎小6生 国語 漢検宿題チェックの後、漢検ステップ6ページほど。
19:30那賀高2生 英語 ジェットリーディングは家で仕上げたとのことで、構文80のみしていく 不定詞、動名詞。
21:00授業終了 明日も15:00より授業