土曜更新 日本史 天皇編  今日は後鳥羽天皇後鳥羽といえば譲位して上皇の時に起こった承久の乱が頻出だが、今回は天皇時代の治世をみていく。

1185年3月、壇の浦の戦いで平氏を滅亡させた源義経だったが、源頼朝の許可なく後白河法皇から検非違使の位を貰ったとのことで、鎌倉に入れてもらえず平安京に戻ることに。その後、紆余曲折あり後白河法皇から源頼朝追討の院宣を受ける。

テストに出るポイント

源頼朝 守護・地頭任命権獲得源頼朝北条時政(後の初代執権。頼朝の義父、義時(後の2代執権)の父)を京に遣わし、後白河法皇源頼朝追討の院宣義経に出したことを問い詰める。逆に義経を捕らえるため、全国に守護(警察権)、地頭(反別5升の兵糧米徴収)の任命権を認めさせる。最近はここから(1185年)鎌倉時代開始という考えも出ている。

源頼朝 奥州平定源義経奥州藤原氏のもとへ行くも、藤原泰衡(やすひら)は源頼朝の策にはまり、義経を討ってしまう。

その後、泰衡は味方の裏切りにあい、奥州藤原氏滅亡。奥州は源頼朝の支配下に。

源頼朝 征夷大将軍に→1190年、源頼朝は上洛。後白河法と会い、右近衛大将に任ぜられる。しかし、頼朝は辞退して鎌倉に戻る。頼朝征夷大将軍の位がほしいことをわかっていた後白河法皇はそれを認めず。征夷大将軍に任ずると朝廷の許可なく地盤を築けるので警戒したといわれる。

1192年 後白河法皇が亡くなると、頼朝征夷大将軍に。

ちなみに後白河法皇は民間の流行歌謡である今様(いまよう)を学んで「梁塵秘抄」→塵のようにたいしたことないものを集めたもの、という意、を編纂している。

源頼朝は娘の大姫を後鳥羽天皇に嫁がせようと1995年、東大寺再建供養に政子とともに連れていくも、亡くなってしまう。その後、下の娘(三幡)を嫁がせようとするが、こちらも亡くなる。

写真は後鳥羽天皇が上皇になってからの歌(百人一首99番目)

1199年、後鳥羽天皇は譲位し、第一子の土御門(つちみかど)天皇が即位する。次回は土御門天皇。

14:30教室入室。台風14号はすでに過ぎ去っていた。

15:00授業スタート。授業に入る。岩出小5生 国算 たずねびと、約数、倍数。

16:30紀北農芸高1生 英語 ジョイフルLesson3の2。学校単語プリント。中間テスト10/7(木)~12(火)。

18:00授業終了。高校は来週から全員登校に戻ることに。明日、あさっては休。火曜は 岩出中3生が中間テスト範囲発表となる。