日本史 内閣総理大臣編。今日も斎藤実。今日は思想面の弾圧と産業について。(写真は龍谷大 文系 2021年度より)

テストに出るポイント

滝川事件(1933.5)→京都帝大教授の滝川幸辰(ゆきとき)が文部省大臣鳩山一郎(戦後首相になる)の圧力で休職処分を受けたのに対し、同大法学部教授会は全員辞表を出して抵抗したが、結局敗北。滝川幸辰は「刑法読本」に不安定な世の中なのは国が悪いという考えがあり、講演、著書が社会主義的だったので警戒されたといわれる。学問の自由の侵害があからさまに出た事件。

②社会主義者の転向→「転向」とはこの時期には特に国家権力が加える暴力・圧迫による社会主義・共産主義思想の放棄を意味する。

日本国家社会党赤松克麿を中心に結成される。天皇を中心とする「一君万民」の平等主義の実現を唱え、民族的利益の擁護という見地から戦争を支持した。残った人々は無産政党である社会大衆党を結成したが、次第に国家社会主義者化した。

獄中にあった日本共産党の当時の最高指導者(佐野学鍋山貞親)が転向を表明。大量転向のきっかけとなる。

新興財閥の台頭→円安のもとでの日本の自国植民地へ輸出拡大(イギリスなど列強は国ぐるみの投げ売り→ソーシャル=ダンピン、と非難して対抗した)したことに加え、赤字国債の発行による軍事費・農村救済費を中心とする財政の膨張で産業界は活気づき、日本は1933年ごろには世界恐慌以前の生産水準を回復。特に軍需と保護政策に支えられて重化学工業が目覚ましく発達し、金属・機械・化学工業合計の生産額は1933年には繊維工業を上回った。

鉄鋼業では八幡製鉄所を中心に大合同がおこなわれ国策会社日本製鉄所が生まれ、鋼材の自給が達成される。

自動車、化学工業では新興財閥が台頭し、軍と結びついて満州、朝鮮へも進出する。

日産コンチェルン鮎川義介による。日産自動車・日立製作所などからなる。

日窒コンチェルン野口遵(したがう)による。日本窒素肥料会社を母体とする。水俣を本拠地とし水俣病の原因となる。戦後、チッソの社名になってから社長となった江頭豊は皇后雅子様の母方の祖父である。

④農村の復興→農業恐慌(特に東北の農村は娘を身売りに出すなど貧していた)を立て直すため、1932年、政府は時局匡救(きょうきゅう)事業と称して公共土木事業を行い、農民を日雇い労働に雇用して現金収入の道をあたえた。さらに政府は農山漁村経済更生運動をはじめ、産業組合の拡充で農民を結束させて「自力更生」を図らせた。

斎藤実内閣は収賄事件(帝人事件)により総辞職、後の二・二六事件で殺害される。次回は岡田啓介。

14:20教室入室

14:25岩出中3生入室。教室内で自習(~17:20)

15:00授業スタート。授業に入る。岩出小6生 算数 拡大図と縮図。中3で習う相似を意識しながら教える。少し時間が余ったので比の復習。

16:30授業終了

17:20岩出中3生自習では「整理と対策」の日本地理をしていた。明日も来たそうだったが、休にしてもらった。

期末テスト対策日程表一通り仕上げる。(月)(火)にもう一度各生徒に確認をとり、火曜の夜に郵送予定。中3生は三者懇談の時に渡します。

(月)は16:30より授業。