土曜更新 日本史征夷大将軍編 今日も足利義政 今回は鎌倉府の動向について

鎌倉府は鎌倉公方関東管領上杉氏の対立があったが(参照:日本史征夷大将軍編16足利義教(後編)①)、足利義政が将軍の頃、足利持氏の子、成氏(しげう)が鎌倉公方となったが、上杉氏と対立し、享徳の乱(1454年)が起こる。(の乱の乱、と漢字しりとりで覚えるといいかも いずれも高校日本史レベル 永享の乱の方がテストに出る)

享徳の乱を機に、鎌倉公方足利成氏古河公方(常陸:今の茨城県)足利義政の弟、政知(まさとも)の堀越(ほりごえ:注:ほりこし、と呼ばない)公方(伊豆)に分裂し、関東管領上杉氏山内扇谷(おおぎかつ)に分かれて争うことになる。

1473年、応仁の乱西軍の山名宗全、東軍の細川勝元の両名が死んだことを契機に、足利義政に将軍職を子の義尚へ譲って正式に隠居。しかしまだ義尚は9歳であったため実権は義政が握る。

足利義政といえば銀閣寺があるが、銀閣寺造営は隠居するため造営されることになったことから足利義尚のところで触れることにする。

次回は足利義尚

14:20教室入室

16:30授業スタート 授業に入る 粉河高2生 英語 ランドマークワークLesson1の1の後、㈪の即ゼミ国の小テストがあるとのことでする 風邪引いて体調が悪そうだったが、いろいろををしてくれた。

18:00授業終了 月謝案内作成中 明日は休 ㈪は16:30より授業