土曜更新 日本史 内閣総理大臣編。今日は浜口雄幸(在職1929.7~1931.4)張作霖爆殺事件(満州某重大事件)で昭和天皇の不興をかった田中義一が総辞職した後、立憲民政党から浜口雄幸が首相となる。今日は内政面をみていく。
テストに出るポイント
①金解禁(1930.1)→金輸出解禁ともいう。輸入品の代金支払いのために正貨(金貨や地金)の輸出を認めることをいい、自由な金輸出には為替相場を安定させる働きがある。金輸出解禁は金兌換を再開(1917年、第一次世界大戦中に戦費確保のため金輸出禁止していた)して金本位制に復帰(はじめの金輸出解禁は→日本史内閣総理大臣編6 第二次松方正義参照)することを意味していた。
浜口雄幸は蔵相に井上準之助(前日銀総裁:1932年血盟団事件により射殺される))を起用し、財政を緊縮して物価の引き下げをはかり産業の合理化(聞こえはいいが生産性の低い不良企業を整理・淘汰していく意味)を促進して国際競争力の強化をめざした。しかし…
世界恐慌(1929.10)の影響が日本にも浸透し、深刻な恐慌状態に陥った(昭和恐慌)輸出が減少するも正貨は大量に海外に流出。企業の操業短縮、倒産があいつぎ、賃金引き下げ、人員整理(リストラ)が行われて、失業者が増大した。
②重要産業統制法(1930)→指定産業での不況カルテル(企業協定)の結成を容認し、不当な値段のつり上げを抑止し、産業の安定化を図る。この法律で初めて「統制」と言う全体主義を意味する言葉が使われる。1938年の国家総動員法(国のために財産を供出させたり、カルテルを強制する)で「統制」が強制になる。
恐慌で消費が縮小したアメリカへの生糸輸出は激減し、その影響で繭価は大きく下落。1930年には豊作のため米価がおし下げられて「豊作貧乏」となる。
結果として金解禁は大失敗となり、1931.11月には金輸出再禁止に。
ちなみに金解禁は高校日本史ではかなりわかりにくい項目であり、難関大学の記述問題で以前はよく出題されていた。しかし、浜口雄幸、井上準之助が金解禁に踏み切ったのかは、近代政治史で謎の一つ(写真:ここまで変わった日本史教科書より←教科書調査官が書いた本)で近年はあまりみられなくなったように思う。
次回も浜口雄幸。外交面に関して。
13:00教室入室
13:30授業スタート
15:00授業に入る。岩出小6生 国算 やまなし、イーハトーブの夢の漢字・語句、立体の体積。岩出中3生 数学 わかる数学 二次方程式の利用。
岩出中1、3生姉妹 教室内で自習(~16:20)妹はわかる数学を進めていた。姉は漢字のワークをしていたようだ。
15:35紀伊中1生母よりtel。火曜休で木曜に授業変更。
16:30紀北農芸高2生 英語 vista Lesson3の2。明日はお父さんの仕事を手伝って昼ご飯はまぐろ料理を食べるらしい。
18:00授業終了。明日も13:30より授業。