土曜更新 日本史 内閣総理大臣編。今日は第一次 山県有朋。(在任1889.12月~1891.5月:長州藩出身)

テストに出るポイント。

府県制・郡制公布→政府の強い統制のもとではあるが、地域の有力者を担い手とする地方自治制度が確立する

市制・町村制→内務大臣が市長(首長)を任命する官選に対し、府県制・郡制→府県会、郡会の首長は議員や大地主により選挙される間接選挙ではあったが民選だった。

第一回衆議院議員総選挙→旧民権派→民党(立憲自由党と立憲改進党)が総選挙に大勝し、第一回帝国議会では衆議院の過半数を占めた。(衆議院議員 総議席300のうち、立憲自由党130、立憲改進党41。)この時の選挙権25歳以上直接国税15円以上納付の男性に限られる「制限選挙」であった。なお15円は現在の60~70万円にあたり、該当者は国民の1,1%しかいなかった。)ちなみに和歌山一区では陸奥宗光(領事裁判権をなくした人)が当選している。

教育勅語公布→内容はお国のためというものもあるが、どちらかというと儒教道徳的な事柄が多い。しかし、「勅語」→天皇の命令でできた文章なので、太平洋戦争後、GHQは廃止を命じ、教育基本法にかわることになる。

第一回帝国議会山県有朋黒田清隆前首相と同じ超然主義(政府の政策は政党の意向に左右されない)の立場をとり予算案の説明で国境としての「主権線」とともに朝鮮を含む「利益線」の防衛のための陸海軍増強の必要を力説。それに対し民党(政府批判)は政費節減民力休養(行政費を節約して地租軽減・地価修正を行う)という主張で攻撃するも、自由党の一部を切り崩して予算を成立させる。

予算案が成立。第一回帝国議会が終了したのを機に山県有朋は辞表を提出し総辞職。伊藤博文を次の首相に推すも、伊藤博文は薩摩閥に配慮し受けず。同じ薩摩藩で蔵相の松方正義が首相となる。次回は松方正義。

14:30教室入室

14:35山崎小6生母よりtelあり。中3の兄が塾終了するので、妹も今月で終了するとのこと。

15:00授業スタート。授業に入る。岩出小5生 算数 変わり方、図形。図形は多角形の内角が中心だった。山崎小6生 英算 アルファベット大文字、語句テスト、算数の復習。割合はもとの数を1と置くと考えるのが筋だが、難しく考えずだいたいこれぐらいか予想してから考えると納得できるはなしをする。

16:20問い合わせtel。テスト対策料金と先生の持ち人数に関して。どこの塾にするか検討段階のようだ。

16:30紀北農芸高1生 数学 一次関数、二次関数のグラフ。仮進級になってもおかしくなかった「農業と環境」は学校からtelなく(仮進級ならかかってくる)セーフだった。(27人中16人?は仮進級だったらしい。)それが分かった瞬間、「勝った」と感じたらしい。全科目進級できたので、いつにもまして話が弾んだ。塾に来る前は体調が悪かったらしいが、授業後はよくなったとのこと。

18:00授業終了。明日は休。(月)は16:30より授業。