土曜更新 日本史 征夷大将軍編 今日は徳川秀忠(在任:1605~1623年)江戸幕府2将軍 初代将軍徳川家康の3男 徳川家康は駿府に隠居するも大御所として実権は握ったままだった。

朝鮮通信使初の来日(1607年)→1回目の朝鮮使節団の人数は約300~500人で、文禄・慶長の役の朝鮮人捕虜の返還を目的としており1240人が返還された。通信使とは信(よしみ)を通ずる修好を目的とした使節の意味である。朝鮮通信使は12回来日し、新将軍就任の慶賀が過半を超えた。

(ゆうくじ:1609年)→徳川家康は朝鮮との講和を実現し、対馬藩主は朝鮮との間にを結んだ この条約は近世日本と朝鮮との関係の基本となり、釜山倭館が設置され、は朝鮮外交上の特権的地位(対朝貿易を独占)を認められた。

③平戸(肥前)に商館をおく(オランダ:1609年、イギリス:1613年)幕府から貿易の許可をえてひらく 徳川家康は朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復を交渉したが、明から拒否された。

慶長使節徳川家康はスペインとの貿易にも積極的で、スペイン領のメキシコ領のメキシコ(ノヴィスパン)との通商を求め、京都の商人田中を派遣した また仙台藩の伊達は1613年家臣の支倉常長をスペインに派遣してメキシコと直接貿易をひらこうとしたが、帰国時は日本国内でキリスト教弾圧が強くなっており、失意のうちになくなった。

ちなみに、明治時代初め政府は、岩倉具視を全権大使として欧米視察の使節を送ったが(岩倉使節団)、欧米視察によって日本がいかに遅れた国であるのかを痛感させられる。このとき250年以上前に日本の外交使節がスペインで外交交渉を行いローマまで派遣されていたという衝撃的な事実を知った。支倉常長の足跡を目の当たりにして、岩倉具視たちは大いに勇気づけられたという。

遣欧使節には、天正遣欧使節があるので間違えないよう注意

次回も徳川秀忠 大坂の陣について

12:50教室入室

13:30授業スタート

15:00授業に入る 二中2生 社会 白プリント 日本の人口、資源、九州、中国・四国 産業の空洞化、促成栽培について説明。

16:30粉河高2生 英語 applauseワークLesson3、4(助動詞、完了)

19:30授業終了

6/12投稿の行方不明になっていた岩出中2生がみつかった投稿が(参考:岩出市中2女の子無事でした)

東京に家出していたとのこと 親にとって娘に家出されるのは恐怖だ 面識はありませんが、無事に帰ってきてよかったです。

明日は二中の期末テスト対策 13:30より授業。 漢検14:00より。