土曜更新 日本史征夷大将軍編 今日も足利義満 室町幕府第3代将軍

足利義満征夷大将軍になってから、全国を旅したことがある(1385~1388頃) これは全国の守護大名を視察と幕府の権威示威であった。そこで幕府を凌ぐ実力をつけた守護大名に警戒心を抱くことになる。

テストに出るポイント

①守護大名の統制

ア、土岐康行の乱(1390)→美濃・尾張・伊勢の守護を兼ねる土岐康行を討伐

イ、明徳の乱(1391)→西国11か国の守護を兼ね、六分の一衆(日本六十余カ国の六分の一を持つ一族の意味)と呼ばれた山名一族の内紛に介入して、山名氏清(うじ)を滅ぼす。

ウ、応永の乱(1399)→6か国の守護を兼任していた大内義弘を滅ぼす。大内氏というと博多での貿易のイメージから、北九州・山口辺り(旧国名でいうと、周防・長門・石見・豊前)だが、和泉・紀伊の守護も兼ねている。→幕府がと貿易を開始することにつながる

勘合貿易の開始→は中国を中心とする伝統的な国際秩序の回復をめざして、近隣諸国に通交を求めていた。の呼びかけを知った足利義満は僧の祖阿(そあ)と博多商人の肥富(こいつ)を派遣して(1401)と国交を開いた。

しかし、との貿易は、国王がの皇帝へ朝貢し、その返礼として品物を受け取るという形式をとらなければいけなかった(朝貢貿易)足利義満への服属を認め、勘合貿易を開始。足利義満は天皇を通さず、明と貿易を始めたことから、足利義満日本国王道義」宛ての返書を出す。

また、勘合貿易の条件として、倭寇(海賊)を退治すること、から交付された勘合といわれる証票を持参することを義務づけられた。

明との貿易にニセの使節団が現れるかもしれない。そこで発案されたのが勘合と呼ばれるものだった。

仕組みは

1 縦長のお札の真ん中に縦に文字を書き

2 そのお札を真っ二つに割り

3 明と日本で、それぞれ割ったお札を持つ。

4 明が持っている札の片割れと、日本が片割れを合わせてニセモノかどうかを判別。

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この貿易を日明貿易or勘合貿易というが、最近は勘合貿易となっていることが多いようだ。

日本からの輸出品硫黄・刀剣など 輸入品銅銭生糸・陶磁器など 輸出品にもかかわらず、銅銭輸入品なのは日本の貨幣よりの貨幣の方が信用があったからである。

次回も足利義満 北山文化(金閣寺など)について

12:50粉河高1生が今日カレー屋バイト初日ときいていたので、ガラス越しに見てみると忙しそうに働いていた 客も5組入っており盛況だった。

12:55教室入室

13:30授業スタート 授業に入る 二中3生 社会 公立高2022③④ 岩出中3生 社会 公立高2020⑤⑥2019③ 3月末に母の実家の下関へ行き、長崎旅行をするらしい。

18:00授業終了 明日は休 ㈪は16:30より授業