土曜更新 日本史 天皇編 今日は醍醐天皇宇多天皇は譲位し、醍醐天皇が即位する。宇多上皇が後ろ盾となり、左大臣に藤原時平。右大臣に菅原道真 が任じられる。(左大臣と右大臣では左大臣の方が上)。宇多上皇が藤原氏嫌いで、菅原道真びいきなことに嫌悪感を抱いていた藤原時平は策謀をめぐらす。

テストに出るポイント

昌泰(しょうたい)の変藤原時平道真が女婿の斉世(ときよ)親王を即位させようとしていると訴える。宇多法皇が助けに行こうとするも道真左遷決定の場に入れず。門前払いされた。このため、道真は右大臣から大宰権師(だざいのごんのそつ)に左遷され、そこで死去。その後、藤原時平、醍醐天皇の皇太子、さらに次の皇太子が相次いで死去。清涼殿に雷が落ちるなど災いがあいつぐ。醍醐天皇時平の弟である藤原忠平と相談(写真 まんが日本史より 左 醍醐天皇 右 藤原忠平)し道真を右大臣の位に戻すことに。

延喜の治→「延喜」とは醍醐天皇の時代の年号。摂政・関白を置かず、親政を行ったと言われる。だが、実際は藤原忠平が実直だったから親政ができたともいえる。

③「延喜格式」の編纂。→三大格式(弘仁・貞観・延喜)の中で唯一、現存している。

延喜の荘園整理令→荘園の増加を抑え、班田収受の立て直しを図ろうとするも徹底できず。ほどなくして班田収授が出来なくなったと「三善清行意見封事十二ヶ条」に記述がある。後三条天皇(白河天皇の前)に実施された「延久の荘園整理令」と似ているので注意。

⑤「日本三大実録」(六国史の最後)、「古今和歌集」の文化事業。

なお、醍醐天皇と後醍醐天皇は別人のため注意。醍醐天皇が亡くなった後も実権は藤原忠平が握り、次の朱雀天皇の時には摂政・関白をつとめる。その後、村上天皇が即位し、親政を行う。次回は村上天皇。

9:00教室入室。

9:30授業スタート。授業に入る。那賀高2生 日本史 飛鳥時代~大宝律令。

11:00那賀高2生 世界史 古代インド。お腹が減ったと言いつつもがんばっていました。

12:30午前の部 終了。

13:30午後の部 スタート。粉河高3年 日本史 明治維新~地租改正。復習。

15:00紀北農芸高1生 英語 学校プリント英単語。粉河高3年 地理 学校、塾プリント 東南アジア、南アジア。

16:30紀北農芸高1年 古典 学校プリント 旧月、えと。和総2年 世界史 学校プリント 日露戦争~第一次世界大戦。

19:30那賀高2生 日本史 古墳時代~大化の改新。明日、13:30から授業に来ると思っていたら、クラブがあり、18:00からでも間に合うかどうかという。これで明日も朝から授業をしてしまうと、先生が6コマ(9時間)の授業となってしまい、法的にまずい。(自分が6コマ授業するのは理屈上は問題ない。眠くてしんどいが。)

21:00授業終了。

21:05明日の朝も授業に入る那賀高2生にtel。事情を話し、明日の授業を18:00からにしてもらった。明日は13:30より授業。