土曜更新 日本史 内閣総理大臣編 今日は米内光政(よないみつまさ:1940.1~1940.7)海軍大将で親英米派だったことから昭和天皇から推薦があったとされる。

テストに出るポイント

汪兆銘 南京政府樹立(1940.3)→日中戦争終結の政略で中国に親日の新国民政府を樹立するも弱体。国民政府は米英などからの物資搬入路である援蒋ルート(蒋介石を援助する)を通じて援助を受けたことから、日本に降伏せず、抗戦を続けることに。

七・七禁令(1940.7)→ぜいたく品の製造・販売の禁止。7月7日に施行されたので七・七禁令という。砂糖・マッチなどの消費を制限する切符制となる。「ぜいたくは敵だ」という言葉が出始めた頃。

③津田左右吉(そうきち)著書発禁(1940.2)→記紀(古事記・日本書紀)の神武~応神天皇までの記述を否定したため、著書発禁になった。以前は津田左右吉はテストに出ることがあったが、最近はあまりみられなくなっている。

ドイツによるパリ陥落(1940.6)により、ドイツと同盟を結びたかった陸軍は陸相の畑俊六を辞任させ、次の陸相を推薦しなかったことから軍部大臣現役武官制(日本史 内閣総理大臣編37 広田弘毅 参照)の規定により米内光政内閣は総辞職。戦後、昭和天皇は「もし米内内閣があのまま続いていたなら戦争(対米戦争)にはならなかったろうに」と悔いていたことが記されている。

当時、枢密院議長を退いた近衛文麿はナチスやファシスト党にならって強力な大衆組織を基盤とする一大指導政党を樹立し、全国民の戦争協力への動員を目指す新体制運動の先頭に立っていた(→1940.10月に大政翼賛会として結実)立憲政友会・立憲民政党・社会大衆党などの諸政党や各団体は積極的あるいはやむを得ず解散して参加を表明。軍部も近衛文麿の首相就任に期待して、米内内閣を退陣に追い込む。

次回は第二次近衛文麿

12:50教室入室

13:30授業スタート 授業に入る 岩出中3生 英語 冬休み宿題(ウィンターワーク)仕上げる。英作問題。岩出中3生 社会 新研究 地理、歴史のまとめ 提出の必要のない冬休み宿題だが、復習テスト対策としていった。

14:00那賀高2生入室 授業開始(15:00)まで教室内で自習

15:00岩出中3生 社会 もし間違いなおし、新研究 地理のまとめなど。岩出中3生 引き続き 社会 新研究 現代社会とわたしたちなど

16:30紀伊中1生 数学 冬休み宿題 まとめのページ

16:50紀北農芸高2生が来ないので母親にtel。忘れていたようだ。火曜に振替。

18:00紀伊中1生 社会 社会の自習学習地理 オセアニア。クラブ後でしんどそうだったので普段より多く話をしていった。

19:30授業終了 明日は休 月(祝)も13:30より授業