土曜更新 日本史 征夷大将軍編 今回は12代将軍徳川家慶の予定だったが、11代将軍徳川家斉の残りが多く、今日も補足として徳川家斉のことを書いていく
①大塩平八郎の乱(1837年)→大坂町奉行所の元与力(警察官のようなもの)であった大塩平八郎が貧民救済のため、門弟や民衆を動員して武装蜂起するも半日で鎮圧される 元とはいえ与力という安定した仕事をしていながら反乱を起こしたのは大塩平八郎が陽明学者(いいと思ったことは実行するという強い考え方=知行合一、という)であったことが大きい その波紋は全国に及び越後柏崎の生田万(いくたよろず)が陣屋を襲撃する事件が起こった(生田万の乱)
*寛政の改革→大塩平八郎の乱→天保の改革、という順番であることがポイント 中学の定期、復習テスト、高校入試でよく出る
②列強の接近とその対応→ラクスマン(ロシア)が根室に来航後(1792年)、幕府は近藤重蔵・最上徳内らに択捉島を探検させ(1798年)、東蝦夷地を直轄地とする 1804年にはレザノフ(ロシア)が長崎に入港 しかし、江戸幕府は冷淡な対応をして追い返したため、レザノフは樺太や択捉島を攻撃して帰国。
幕府はロシアへの防備として、松前藩と蝦夷地を直轄地とし松前奉行の支配に 間宮林蔵に樺太とその対岸を探査させる。
その後、ロシアとの関係はゴローウニン事件(1821年:日本人に監禁されていたロシア人のゴローウニンとロシアが抑留していた高田屋嘉兵衛をお互いに送還)を機に改善される。
フェートン号事件(1808年)→英蘭戦争の影響で、イギリス船フェートン号がオランダ船を追って長崎に入り、トラブルに。そこで日本は異国船打払令を出し(1825年)外国船を撃退するようになる。
次回は徳川家慶
12:50教室入室
13:30授業スタート 授業に入る 那賀高2生 日本史 教科書・10分間テスト テスト範囲 保元・平治の乱について説明。
17:00㈭に問い合わせのあった岩出中3生母本人入室 来週から体験授業に入ることに 高3塾生のいとこ
面談席の水槽をみて、「これは先生の趣味ですか?」家で熱帯魚を飼っているらしい
18:00授業終了 明日は那賀高期末テスト対策 13:30より授業