土曜更新 日本史征夷大将軍編 今日も徳川家慶 江戸幕府12代将軍 (写真は )
大御所で前将軍徳川家斉の死去(1841年)後、老中天保のという 享保・寛政の改革を超える断固たる倹約令を出す 人情本作家為永春水が処罰される を中心に、幕府権力の強化をめざす これを
天保の改革の内容
①人返しの法→百姓の出稼ぎを禁じ、江戸に流入した貧民の帰郷を強制 飢饉で荒廃した農村の再建を図ろうとした 寛政の改革の旧里帰農令(日本史征夷大将軍編44徳川家斉(前編)①参照)より強制的な感じ
②株仲間の解散→水野忠邦は物価騰貴の原因は、江戸の十組問屋(大坂は二十四組問屋と数字が大きくなるのがポイント)などの株仲間(商人の同業組合)が上方市場からの商品流通を独占しているためと判断して、株仲間の解散を命じる。しかし物価騰貴の真の原因はかえって生産地から上方市場への商品輸送量をとぼしくすることになり、逆効果となった。
株仲間の公認→田沼意次 株仲間の解散→水野忠邦、と覚える 和歌山公立高入試で出題されたことあり
③上 の失敗→「じょうちれい」とも「あげちれい」とも読める 1843年、江戸、大坂周辺の約50万石の地を直轄地にして、財政の安定や対外防備の強化をはかろうとした 他地域に代替地は用意されたが、譜代大名や旗本に反対されて上知令は実施できず、水野忠邦は老中から失脚する。
三大改革の印象として、徳川吉宗(享保の改革)は普通だが、松平定信(寛政の改革)は真面目すぎ、水野忠邦(天保の改革)は強引、という感じ
水野忠邦失脚後、日本に開国を求める外国船がくるも断り続けていたら、黒船がやってきて…
次回も徳川家慶
14:10今日オープンのケーキ屋に行ってきた 食べなかったが、ソフトクリームを無料で振舞っていた オープン記念かな?
15:45岩出中3生母よりtel 1月より週回数を増やす件など
明日は休 ㈪は16:30より授業