土曜更新 日本史 内閣総理大臣編。今日は第二次山県有朋(在職1898.11月~1900.10月)第二次松方正義→第三次伊藤博文と地租増徴案を民党に否決され総辞職してきたことを考慮した山県有朋は民党である憲政党(旧自由党)の支持を得て、憲政本党(旧立憲改進党)の反対をおさえ5年間限定で地租増徴案(2.5%→3.3%)を成立させることに成功する。(写真は大阪大学2020前期)
①文官任用令を改正→官僚になるための資格を引き上げる。例えば、長い公務員生活が必要。資格を引き上げることにより人気だけで官僚になるのを防ぐ、つまり民党議員の抑制の意味があった。
②軍部大臣現役武官制を定める→陸海軍大臣は現役の軍人でなければいけないことを明文化。軍部の影響を強めることになる。第二次西園寺公望(←立命館大学の創始者)内閣の時、上原勇作陸軍大臣が辞任の後、その時元老だった山県有朋や桂太郎(2人とも陸軍出身)は次の大臣を出さなかったため、西園寺内閣は総辞職することになる。
③治安警察法の成立→政治、労働運動の規制を強化。讒謗律・新聞紙条例→保安条例→治安警察法と続く規制強化の法律。*治安維持法(共産主義の規制)ではないので注意。
④選挙権の納税額を直接国税15円→10円に減。
⑤義和団事件(北清事変)おこる→清で「扶清滅洋」(清を助け西洋を滅ぼせ)を唱え、義和団と名乗る排外主義団体が各地で外国人を襲い北京の列強公使館を包囲。日本を含む列国は連合軍を派遣し、義和団を北京から追って清を降伏させ、北京議定書(列国に賠償金支払いと北京郊外公使館所在区域の治外法権、公使館守備隊の駐留を承認)を結ばせた。
第二次山県有朋内閣にはじめは支持していた憲政党はこれらの政策(特に文官任用令の改正に至っては与党である憲政党への相談がなかったといわれる)に批判的になり、政党(立憲政友会)結成を目指していた伊藤博文に接近。憲政党と対立した山県有朋は総辞職する。次回は第四次伊藤博文。
14:30教室入室
15:00授業スタート。授業に入る。岩出小6生 国算 帰り道、対称な図形。
16:30紀北農芸高1年 英語 Vista Lesson1の1。行事予定表を持ってきてくれた。中間テスト 5/19(木)~24(火)。イチゴ狩りのはなし。
18:00初芝橋本高1年 英語 ブライトステージ 時制、完了。高校生活、特にクラブは楽しいようだ。明日、なぎなたの防護服を注文しにいくらしい。
19:30授業終了。月謝案内作成。明日は休。(月)は16:30より授業。