奇数週木曜更新 世界史中国皇帝編 今日も光緒帝
①義和団事件(1901年)→列強の中国進出を不満とする山東の農村の自警団的組織を基盤とする宗教的武術集団の義和団は「 」→清を助けて西洋諸国を滅ぼす)をとなえて鉄道やキリスト教教会を破壊し、宣教師や信徒を排撃。義和団が北京場内に入ると清朝の保守排外派は、この運動を利用して列強に対抗しようと各国に宣戦布告した。各国は在留外国人の保護を名目に共同出兵にふみきり、日本とロシアを主力とする8カ国の連合軍は北京を占領し、在留外国人を救出した。敗れた清は北京議定書に調印し、巨額の賠償金を支払い、外国軍隊の北京駐屯などを認めた。
②光緒新政→義和団事件後の清は、科挙の廃止(1905年)、立憲制へ向けての憲法大綱の発表と国会開設の公約(1908年)など、近代国家の建設に向けて改革にふみきった(光緒新政、という。しかし、光緒新政は改革にともなう増税やその中央集権的な性格のゆえに、地方の有力者や民衆の反発をまねいた。
戊戌の変法は1898年~、光緒新政は1905年~と違うことに注意(どちらも同じ光緒帝の時代の改革である)
③孫文の清朝打倒運動→海外では華僑(中国大陸本土・台湾・香港・マカオ以外の国家・地域に移住しながらも、中国の国籍を持つ漢民族)や留学生を中心に、漢人による清朝打倒を目指す革命運動が盛んになってきた。興中会(1894年:ハワイで華僑を中心に組織した政治秘密結社)を指導する孫文は、ばらばらであった革命諸団体の結集をはかり、1905年に東京で中国同盟会を組織した。中国同盟会は、満州王朝の打倒、共和国の建設、貧富の差の抑制を内容とする「民族・民権・民生」の三民主義を掲げて、革命宣伝や武装蜂起をおこなった。→辛亥革命(1911年)につながる
光緒帝は1908年10月21日に37歳で崩御。翌日の22日に西太后も亡くなる。西太后の遺命で甥の溥儀(ふぎ)が宣統帝として即位する
次回は宣統帝
14:20教室入室
15:00授業スタート 授業に入る 二中2生 社会 白プリント歴史2枚(武士のおこり~室町文化)もう一度。粉河高2生 英語 applauseワークLesson1、2。
15:50粉河高2生入室 授業開始(16:30)まで教室内で自習。
16:30粉河高2生 英語 applauseワークlesson1、2。那賀高3生 英語 ランドマークサブノートLesson2 仕上げた後、厳選英文法Lesson9(自動詞、他動詞)
18:00二中1生 英語 エイゴのパートナーUnit1。二中3生 英語 get Unit0、1。
19:30二中1生 数学 わかる数学 正負の加減ドリルの後、教科書確認問題。粉河高2生 英語 applauseワークlesson1、2。
21:00授業終了 二中と粉河高の中間テスト対策終了 那賀高、近附はテスト対策中 岩出中は来週㈫テスト発表
明日は16:30より授業