奇数週 木曜更新 世界史 中国皇帝編 今日は玄宗(在位712~756)則天武后の孫にあたる。玄宗の治世は前半は開元の治(713~741)と言われる善政だったが、楊貴妃に出会ってからは、政治をあまり顧みず悪政となる。

テストに出るポイント

募兵制採用→太宗(李世民)は兵農一致である府兵制を採用していましたが、玄宗は兵士を募る募兵制に切り替え、集まった兵士には、国から給与を支払った。

人口の増加や商業の発達に伴い農民のあいだに貧富の差が開き、没落して逃亡する農民が増えて、均田制租庸調制とともに府兵制も崩れていった時代背景がある。これは日本でも同じような現象(奈良・平安時代)が起きている。

節度使を辺境に配備→異民族(ウイグル吐蕃←とばん、チベットの辺り)対策として軍事権を与える。

李白杜甫など、唐を代表する詩人が誕生し、文化が大きく発展。

開元の治が終わりを告げたのは、玄宗楊貴妃を寵愛し過ぎたためです。

玄宗楊貴妃との時間を何よりも優先し、朝廷に顔を出さなくなりました。
政治は宰相陣に任せたため、朝廷に混乱が生じ、その混乱は国へと拡大。

安史の乱(755~763)→楊貴妃の一族が実権を握った反発から節度使安禄山史思明が反乱。安禄山の「」と史思明の「」をとって安史の乱という。
ウイグルの援軍(←これ結構テストに出る)を得てようやく鎮圧されるも、唐の国力はすっかり衰えていまい、衰退の一途をたどることに。有力な節度使が地方の行政・財政の権力を握って自立の勢いを示した(はんちん)という。

タラス河畔の戦い(751)→イスラム王朝であるアッバース朝に負けた戦い。唐の製紙法がイスラムに伝わるきっかけとなる。

玄宗の後、唐は租庸調制に変わる両税法(夏・秋2回の税)を採用するも、黄巣の乱が全国に広がり、節度使の朱全忠により唐は滅ぼされる(907)

次回は朱全忠

14:30教室入室

15:30京セラの方入室 B4用紙をコピーする時、しわができるのでみてもらう。ローラーが湿っていたせい?しわなくきれいにコピーできるようになった。

18:00授業スタート

18:15山崎小6生母よりtel。なにかやらかしたらしく今日は休。

19:30二中3生 英語 ジョイフルUnit2の2(現在完了の継続用法)

21:00授業終了 粉河高の期末テスト対策をつくりはじめる 明日も18:00より授業 午後から大雨とのことで授業できるかな?