土曜更新 日本史 内閣総理大臣編 今日も犬養毅。今日は内政面と2つのテロ事件について。

テストに出るポイント

金輸出再禁止(1931.12)→立憲政友会を与党とする犬養毅は元首相である高橋是清蔵相を中心に金輸出再禁止を断行。金本位制(円の金兌換)をやめ、管理通貨制度に戻す。ということは紙幣を大量発行できるということであり、軍部にとっては戦費調達に都合がよくなる。また、恐慌下で産業合理化を進めていた諸産業は、円相場の大幅な下落(円安)を利用して、飛躍的に輸出を伸ばしていった。特に綿織物の輸出拡大はめざましく、イギリスにかわって世界第一位の規模に達した。

血盟団事件(1932.2~3)→井上日召(にっしょう)率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相、三井理事長の団琢磨を暗殺。

五・一五事件→(1932.5)→海軍青年将校の一団が首相官邸に押し入り、犬養毅首相を射殺する。(写真は2022年岩出中3生1学期末テスト)土足で入ってきた青年将校に対し「話せばわかる」と犬養毅は諭すが、銃を発砲されたといわれる。

ではなぜ、このような物騒な事件が続いたのか。前首相浜口雄幸井上準之助はロンドン海軍軍縮条約調印、金解禁と軍部にとって不利になる政策をとっていたからといえるが、犬養毅は軍部に不利な首相とはいえなかった。しかし、首相になったということで、右翼、軍の政党、財閥打倒の標的にされてしまったといえる。財閥の長といえる団琢磨暗殺は政府と財閥の癒着(金銭授受など)が原因といえるだろう。政党内閣をなくして都合のよい内閣を作ろうという軍の身勝手な思いがあらわれている。

五・一五事件二・二六事件は日付でいうと二・二六のほう早いが、五・一五事件の方が年代が早いので注意。(五・一五は1932年、二・二六は1936年)

五・一五事件により憲政の常道(憲政会→立憲民政党、立憲政友会どちらかの内閣)は断ち切られ、政党政治が終わり、海軍大臣の斎藤実が組閣する。

テストには出ないが、五・一五事件が起こった時、チャップリンが来日していた。この時チャップリンは社会主義者ではという疑惑があったことから殺害計画があり、これを予期したのか首相官邸には行かず、皇居と旧両国国技館(相撲見物)へ行先を変えたという。

次回は斎藤実。

14:30教室入室

14:55岩出小6生がやってきた。授業をはじめる。算数 比、表を使った問題。

16:15紀伊中1生母よりtel。他塾を今月で辞めるので当塾11月より週3コマ5教科型に。中間テストが横ばいの結果だったためしばらく本人はしんどい日々が続きそうだ。これが成績アップしていると、このままがんばればいいという気持ちになり楽になるのだが。

16:30紀北農芸高2生 英語 vista Lesson4の1。水~金までインターンシップで粉河と名手の間にある農作物搬入所?で働いたらしい。なかなか忙しかったようだ。高校生4人で行ったとのことで職員の方は手伝ってくれて喜んでくれたらしい。

18:00授業終了。明日は休。(月)は16:30より授業。