土曜更新 日本史 内閣総理大臣編。今日は第一次 伊藤博文(在職1885 12月~1888 4月)明治政府は明治十四年の政変(1881年)の際に国会開設の勅諭を出し、10年後に国会を開くことを約束。政府は天皇と政府に強い権限を与える憲法を制定する方針を決めていた。(写真は和歌山公立高2020入学試験)

第一次 伊藤博文内閣のテストに出るポイント。

内閣制度の制定→それまでの太政官制を廃止し、内閣制度を制定。これにより、各省の長官は国務大臣として自省の任務に関して天皇に直接責任を負うだけでなく、国政全体に関しても総理大臣のもとに閣議の一員として直接に参画するものとなる。

②憲法制定準備→伊藤博文ベルリン大学グナイストウイーン大学シュタインからドイツ(プロイセン)流の憲法を学んでいた。フランス、イギリスよりドイツの憲法を取り入れたのは、ドイツの方が皇帝の大権があったからといわれる。憲法制定の準備は国民に対して極秘に進められ、ドイツ人ロエスレルの助言を得て、伊藤博文を中心に井上毅(こわし)、伊東巳代治←この「伊東」は「」でなく、「」なので注意!、金子健太郎らが起草にあたった。憲法の起草は伊藤博文の別荘(神奈川県横須賀の夏島にある)で行われたが、伊藤博文は内閣総理大臣になっており多忙なことから別荘を行ったり来たりしていたという。空き巣に入られ、憲法草案が入ったカバンを盗まれたことがあるが、後日発見される。(金品のみ取られていた)この憲法が大日本帝国憲法となるが、発布は次の黒田清隆内閣の時である。

③市制・町村制の公布→人口25,000以上の都市を市として郡と対等の行政区域とし、従来の町村は大幅に合併されて新しい町村とされた。市長は市会の推薦する候補書から内務大臣が任命。町村長は無給の名誉職で、町村長で公選された。地方制度改革はドイツ人モッセの指導で山県有朋(やまがたありとも)を中心に行われる。

保安条例板垣退助に代わって後藤象二郎が自由民権派の大同団結を唱え、井上馨外相の条約改正交渉失敗(いわゆる鹿鳴館問題)を機に三大事件建白運動を起こす。三大事件とは、地租の軽減言論集会の自由外交失策(不平等条約)の回復である。これに対し、政府は保安条例を定め、自由民権派を東京から追放する。

なお、伊藤博文と言えば1000円札にある人物写真を思い浮かぶ人もいるかもしれない。使用されていたのは、昭和39年~昭和59年。ちなみに1000円札の人物写真は、日本武尊(やまとたけるのみこと)→聖徳太子→伊藤博文→夏目漱石→野口英世→北里柴三郎(2024年より)、となっている。

伊藤博文は憲法、皇室典範制定に専念することと天皇の諮問(しもん→お尋ね)機関であり、憲法制定を審議する枢密院議長になるのを理由に総理大臣を辞職。黒田清隆が2代総理大臣となる。次回は黒田清隆。

12:50教室入室。

13:30授業スタート。授業に入る。岩出中3生 社会 日本地理復習、公立高2019解説。卒業式の答辞を読むらしい。高積中3年 英語 公立高2020③、④。二中3年 英語 公立高2020①~④。①(リスニング)②(長文)は全て正解。③(長文)④(英作)もほとんどできていた。

15:00岩出小5生 国算 アンパンマンの確認テスト、速さ。時速→分速→秒速、の変換を説明。山崎小6生 国算 いかだ、グラフの後、分数の復習。分数のかけ算で通分していたので注意。

16:30紀北農芸高1年 数学 二次関数。ウクライナ情勢についてはなし。実習で作ったジャムをもう一度作ってもってくると言ってくれた。

18:00授業終了。明日は休みます。(月)は16:30より授業。