土曜開校日更新 日本史征夷大将軍編 今日も徳川家茂 江戸幕府第14代将軍

京都にいる長州勢力と急進派の公家(三条)は徳川家茂を上洛させ攘夷を決行するよう約束させる。幕府はしぶしぶ1863年5月10日より攘夷決行するよう決め、長州は下関の海峡を通過する外国船を砲撃する。

長州を中心とする尊攘派の動きに対して、薩摩・会津の両藩は1863年8月18日、朝廷内の公武合体派の公家とともに朝廷の実権を奪って、長州勢力と三条らを京都から追放した(八月十八日の政変、という)

長州は勢力を回復するために、池田屋事件(京都守護職の指揮下にあった近藤勇ら新選組が京都の旅館池田屋で殺傷した事件)を契機に京都に攻め上ったが、会津・桑名・薩摩など諸藩に敗れて退く(禁門の変(蛤御門の変、ともいう)  これに対し幕府は諸藩兵を動員して長州征伐(第一次)に向かった

長州は下関の海峡を通過する外国船を砲撃し、攘夷を実行するも、イギリス、フランス、アメリカ、オランダ四国の連合艦隊が下関の砲台を攻撃・占領される(四国艦隊下関砲撃事件)

これらの動きの中で長州の上層部は藩内の尊攘派を弾圧し、幕府に対し恭順の態度をとった。このため、長州征討の幕府軍は交戦しないまま撤退した。

また、幕政改革を要求した薩摩島津久光は、大名行列を遮ったとしてイギリス人を斬り殺してしまう事件が起こる(生麦事件) その報復としてイギリス軍艦が鹿児島湾に進撃、砲火を浴びせられる(戦争) 攘夷が不可能なことを悟るようになる。

列国はさらに兵庫沖(←共通テスト日本史で出題されたことあり)まで艦隊をおくって圧力をかけ、条約の勅許を勝ち取り、幕府と交渉して(自由貿易を妨げる諸制限を撤廃し、諸外国に有利になるようにした)を調印させた。

次回も徳川家茂

12:50教室入室

13:00岩出中1生入室 13:00からと思ってきたとのことで授業はじまるまで快活クラブに行ってくるといったん退出

13:30授業スタート

13:40岩出中1生再入室 那賀高の辺りまで行っていたらしい 授業に入る 社会 歴史のワーク 飛鳥時代~鎌倉時代はじめ

15:00岩出中1生 社会 引き続き歴史のワーク 那賀高2生 英語 vizion questワーク 丁寧な表現、比較

16:30授業終了 粉河高2生 授業後、教室内で自習(~17:20) 過去問ないですかとのことで古典を用意して渡す コミ英はバイオディーゼル燃料のところで那賀高と内容はほぼ同じなのだが、那賀高→ランドマーク、粉河高→ランドマークフィット、で出てくる単語、熟語がランドマークの方が難易度が高く、那賀高の過去問は粉河高では使えない。

明日も岩出中、那賀高、粉河高の学年末テスト対策 13:30より授業