土曜更新 日本史征夷大将軍編 今日も徳川家慶 江戸幕府12代将軍(写真はペリー)

アヘン戦争イギリスに敗れて南京条約を結び、香港を割譲し、開国を余儀なくされたことが日本に伝わると、1842年、幕府は異国緩和して薪水給与を出し、漂着した外国船には燃料・食糧を与えることになる。

オランダ国王開国勧告(1844年)→オランダ国王が幕府に親書を送り開国を勧告するも、世界情勢の認識にとぼしい幕府はこれを拒絶し、鎖国体制を守ろうとした。

ビッドル来航(1846年)→アメリカは北太平洋を航海する自国の対清貿易船や捕鯨船の寄港地として日本の開国を強く望んでいた アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが浦賀に来航して通商を要求したが、幕府は拒絶した。

しかし、アメリカがメキシコからカリフォルニアをうばって(1848年)太平洋岸に到達すると、アメリカと清との貿易はいっそう盛んになり、ますます日本の開国を必要とするようになる。

ペリー来航(1853年)→1853年4月に琉球国の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーはそこを根拠地として黒船4隻を率いて6月3日に浦賀沖にあらわれ、フィルモア大統領の国書を提出し、日本の開国を求めた 幕府は何の対策のないままペリーの強い態度におされ国書を正式に受け取り、回答を翌年に約束していったん日本を去らせた。

徳川家慶ペリー来航直後の6月22日に心不全で亡くなり、息子の家定が13代将軍となる

次回は徳川家定

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