土曜更新 日本史 征夷大将軍編 今日は徳川家重 江戸幕府第9代将軍(在職:1745~1760年)
代々、徳川将軍の座に就いた人は御姿を絵に残しますが、他の将軍は普通に描かれているのに、徳川家重だけは ”ひょっとこ” のように口を尖らせ、眉根を寄せているような、明らかに妙な感じに描かれている。
「言語不明瞭な将軍」「暗愚の人」と言われる徳川家重を父である徳川吉宗は将軍にするかどうか迷うも家重の子である家治(いえはる)が聡明そうであったのと家重が長男であったため、9代将軍となり、徳川吉宗は自身が亡くなるまで(1751年)大御所として政治をみる
この頃、本居宣長、平田篤胤ら国学者の影響で、尊王思想という天皇を王者として尊ぶという思想が広まった。
宝暦事件(1758年)→公家である竹内式部が山崎闇斎の大義名分論を天皇の側近たちと天皇に講義したという罪で追放。そのほか講義を受けた天皇の側近たちも追放される。
幕府がこの出来事を重大視したのには、公家の中に時の将軍、徳川家重を将軍職から外して追放し、幕府を倒そうと計画する者が現れたからといわれる。
1760年6月、徳川家重は長男の徳川家治に将軍職を譲る その翌年(1761年6月)、田沼意次を重用するよう遺言し、死去(満49歳)
次回は徳川家治
14:20教室入室
16:15粉河高2生がやってきた 授業をはじめる applauseワーク 不定詞 今日は昼ごはんを作って、紀の川ボールに家族で行った後、塾に来るというハードスケジュール。
18:00授業終了 明日は休 ㈪は15:00より授業 ㈪は那賀高生 休みらしい