土曜更新 日本史 内閣総理大臣編 今日は第3次鳩山一郎(在職1955.11~56.12) ソ連との国交回復(日ソ共同宣言)と日本の国際連合加盟について
テストに出るポイント
①日ソ共同宣言調印(1956.10)→鳩山一郎は「自主外交」としてソ連との国交回復交渉を推進。その理由として、
ア、日本の国際連合への加盟(五大国(米ソ英仏中)には拒否権があり、ソ連との仲をよくしないと日本の国際連合加盟は難しかった)
イ、北方領土(国後、択捉、歯舞、色丹)の返還
ウ、シベリア抑留中の日本人の返還
があげられる。ただ、今まで敵視し(されて)いたソ連とこれら全ての要求をのんでもらうのは難しいと考え、領土(北方領土)の返還より人命の方が限りがあるとし、シベリア抑留の日本人を帰国させてほしいとの要求のみいれる。(北方領土問題は先送り。いまだに解決されていない)
鳩山一郎は自らモスクワを訪れ、日ソ共同宣言に調印。国交正常化に成功(参考:NHKアーカイブス 日ソ共同宣言調印)
ソ連との交渉が実現したのはスターリンが1953年に亡くなり、冷戦構造が緩和(雪どけ)があった歴史的背景がある。
②日本の国際連合加盟(1956.12)→ソ連との国交回復により日本の国連加盟を拒否していたソ連が支持にまわったので、日本の国際連合加盟が実現した。
なお、中国(当時は中華民国が五大国のメンバー)とは、多数国の国連代表から、日ソ交渉の成り行き次第では日本の加盟を中国に説く必要があるとの意見があり、結局加盟は日ソ交渉次第との空気があった。
③神武景気(1955~57)→朝鮮戦争を契機にした高度経済成長(1955~1973:第一次石油危機まで)の中で初代天皇である神武天皇以来の好景気とたとえられ、神武景気と名付けられた。景気上向きに伴い三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及しはじめる)
また、鳩山一郎は防衛力増強(再軍備)を推進するため国防会議を発足させ、憲法改正をとなえて憲法調査会を設置する。
鳩山一郎首相引退の後、石橋湛山が内閣を組閣するも病気のため総辞職する。
次回は岸信介
12:50 教室入室
13:30授業スタート
13:40紀伊中2生弟妹が本人に麦茶の差し入れを持ってきた。
15:00二中2生 1コマ遅れの入室
16:30授業に入る 粉河高1生 英語 applause ワーク Lesson3(助動詞) 紀北農芸高3生 英語 vista Lesson7の2 農芸では専門学校含めての進学率は20%台らしい。
18:00授業終了
明日も13:30より授業 漢検は16:40より。