土曜更新 日本史内閣総理大臣編 今日も第三次吉田茂 サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について(写真は中学歴史教科書より:サンフランシスコ平和条約に調印する吉田茂)
テストに出るポイント
①サンフランシスコ平和条約調印(1951.9)→アメリカは日本の占領を終わらせて西側陣営の編入を目指すため、ダレス国務長官による講和条約準備が進められる。
日本の対応として、単独講和論と全面講和論に分かれる。
単独講和論→その内容として対日講和からはソ連などを除外し、アメリカを中心とする西側諸国と講和する。政府と保守系の政党(自由党、進歩党)が支持。
全面講和論→ソ連、中国を含む全交戦国との講和を図る。知識人、社会党、共産党が支持。
冷戦構造の中では単独講和が現実的だとした。
日本主席全権 吉田茂、日本と48か国が調印。ソ連、ポーランド、チェコスロバキアは調印拒否。インド、ビルマは不参加。中華民国、中華人民共和国は招かれず。日本の独立承認。アメリカは賠償請求権を放棄、東南アジア諸国に賠償金を支払うことに。
領土は朝鮮の独立。台湾・南樺太・千島列島の放棄。沖縄・奄美・小笠原のアメリカ占領状態の継続。
②日米安全保障条約調印(1951.9)→米軍の日本駐留。極東の平和と安全、日本の防衛に寄与。サンフランシスコ平和条約と同時に調印されたのがポイント。サンフランシスコ平和条約によってアメリカ軍が日本から出ていかないといけなくなったが、ソ連との冷戦が続いていたアメリカは日本に軍を残したかったので日米安全保障条約を結んだ時代背景がある。
③日米行政協定の締結(1952..2)→米軍への基地提供、米軍の駐留経費の一部負担を定める。内灘事件(米軍基地反対運動:石川県:1952.6月)起こる。
④破壊活動防止法制定(1952.9)→血のメーデー事件(皇居前でデモ隊と警官隊が衝突)をきっかけに制定。
⑤IMF(国際通貨基金)、世界銀行に加盟(1952.8)
⑥警察予備隊→保安隊に(1952.10)
⑦湯川秀樹が日本人ではじめてノーベル賞を受賞(1949:物理学)、文化財保護法制定(1950)→前年に法隆寺金堂壁画焼損がきっかけとなる、
次回は第4次、5次吉田茂。
12:50教室入室
13:30授業スタート
15:00授業に入る 岩出中2生 社会 白プリント13(産業、工業)
16:30粉河高1生 英語 Landmark Lesson2の1 中間テストはよかった 昨日テニスダブルスで初めて相手に勝ったとのこと。
18:00授業終了 明日も13:30より授業。