奇数週木曜更新 世界史イギリス王室・首相編 今日もチェンバレン首相

チェンバレンは話し合いによって解決を図る宥和政策をとるもヒトラーは満足せず、1939年3月、チェコスロバキア解体を強行して、西半分のベーメン(ボヘミア)・メ―レン(モラヴィア)を保護領に、東半のスロヴァキアを保護国にした。さらにポーランドにも、ダンツィヒ(現グダンスク)の返還、東プロイセンの陸上交通路を要求。イタリアもドイツの行動に刺激されてアルバニアを併合した。(写真の地図:ナチス=ドイツの領土拡大 参照)

こうした情勢を前に、イギリス・フランスは宥和政策の限界を認め、軍備拡充を急ぎ、ポーランとギリシアの安全保障を約束したので、ポーランドドイツの要求を拒否した。

イギリス・フランスはソ連とも軍事同盟の交渉に入ったが、西欧諸国に不信をいだいていたソ連ナチス=ドイツとの提携に転じ、1939年8月末、独ソ不可侵条約を結ぶ。これに力を得て、チス=ドイツは9月1日、準備していたポーランド侵攻を開始。イギリス・フランスはドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まった。

次回もチェンバレン 第二次世界大戦前半について

14:05教室入室

14:40志望校判定テスト到着(中3)さっそく、実力問題集(もしの付録)を取り出す

15:35那賀高3生がやってきた 授業開始(16:30)まで教室内で自習

16:30授業スタート

17:40粉河高2生入室 授業開始(18:00)まで教室内で自習

19:25二中3生 教室のかけ時計が動かないことを教えてくれた 電池切れ

19:30授業終了 二中2生 19:00頃、雨が強かったのでお父さんに車を出してもらうかどうかという話になったが、19:30時点でやんで(小降り?)だったので自転車で帰ったようだ

明日も16:30より授業