奇数週木曜更新 世界史イギリス王室・首相編 今日もヴィクトリア女王 治世前半の対外関係を2回にわけて書いていく

第二次エジプト=トルコ戦争に介入(1840年)→エジプト=トルコ戦争とは、オスマン帝国(オスマン=トルコ)の支配下で自治を認められていたエジプトムハンマド=アリーが領土を要求した戦い エジプトが勝利するも、フランスがエジプト、ロシアがオスマン帝国を援助したためにイギリスが干渉し、ロンドン会議で、ムハンマド=アリーはオスマン帝国の宗主権のもと、エジプト・スーダンの総督の地位を世襲することを認められるにとどまった。

アヘン戦争(1840~42年)→18世紀後半に広州の対外貿易の大半を占めていたイギリスでは、中国(清)茶の輸入が急速に増加していた しかし、産業革命で生産をのばした綿製品は清ではなかなか売れず、輸入超過の結果、大量の銀が清に流入していた そこでこれを打開するために、19世紀初めからは、清の茶をイギリスに、イギリスの綿製品をインドに、インド産のアヘンを清に運ぶ三角貿易を始めた

清では、ヘンの吸引が広がり、アヘンの密貿易が増えて、従来とは逆に大量の銀が清国外に流出するようになった アヘンの吸引や輸入を禁止していた清は、1839年、林則徐を広州に派遣して取り締まりにあたらせた イギリス政府は自由貿易の実現をとなえて海軍の派遣を決定する(アヘン戦争のはじまり)

アヘン戦争で、清はすぐれた兵器をもつイギリス海軍に連敗し、南京条約を結び(1842年)、香港島の割譲上海寧波福州厦門(アモイ)・広州の5港の開港公行(同業組合)の廃止賠償金支払いを認めた

アロー戦争(第二次アヘン戦争:1856~1860年)→アヘン戦争後の交易で期待していたほどの利益はあがらず、不満をいだいたイギリスは条約改定の機をうかがっていた 1856年広州でイギリス船籍を主張する船の中国人乗組員が海賊容疑で逮捕されるアロー号事件がおこった これを口実にイギリスはフランスを呼びかけて共同出兵を行った 英仏軍は広州を占領し、海路北上し天津に迫り、天津条約を結んだ(1858年)

しかし、翌年、批准書交換の使節の入京を清軍が武力で阻止したことを機に、英仏軍は再度出兵し北京を占領 北京条約を結んだ(1860年) 北京条約で清は外国公使の北京駐在、天津など11港の開港、外国人の中国内地の旅行の自由、キリスト教布教、アヘン貿易公認 イギリス九竜半島南部を割譲した

一連の条約の流れとして、南京天津北京、と覚えるのがポイント

次回のヴィクトリア女王 治世前半の対外関係の続き(ロシア、インド関連)

14:20教室入室

17:05今日面談予定の方からtelあり 何か持っていくのものはないですか

18:00授業スタート

二中2生 中間テスト範囲 英語 Unit0、1 社会 南アメリカ~日本の災害対策 エイゴのパートナーUnit1をコピーさせてもらう 少しサイズが大きくなっている

18:30荒川中2生母本人と面談 塾をさがしている段階らしい 体験授業中間テスト対策で入る 荒川中 中間テスト 5/15㈭16㈮ ウーパールーパーのはなし

19:30授業に入る 二中2生 英語 エイゴのパートナー Unit1の2、3

二中3生 中間テスト範囲 理科 風向き~遺伝 社会 ~最大で大正末まで

21:00授業終了

明日は16:30より授業