土曜更新 日本史 内閣総理大臣編。今日は第一次山本権兵衛(在職1913.2~1914.4)立憲政友会を与党とする薩摩藩出身で海軍大将の経験がある。薩摩藩出身で海軍となると藩閥なのだが、山本権兵衛は第一次護憲運動で第三次桂太郎が首相を辞任したことを考慮した政治を行う。
テストに出るポイント
①軍部大臣現役武官制改正(1913.6)→軍部大臣の資格者を現役のみから予備役、後備役(65歳以後の6年間)まで拡大。しかし、現役以外の人物が軍部大臣になることはなかった。→広田弘毅内閣の時(1936.3月)、復活。(二・二六事件の直後の内閣、軍部の力がかなり強くなっていた。)
②文官任用令改正(1913.8)→政党員も官僚になれるようにした。優秀な人材確保の面もある。
つまり第一次山本権兵衛内閣は藩閥の利権を捨てて官僚や軍に政党の力が及ぶようにしたのである。
しかし…③シーメンス事件(1914.1)→ドイツのシーメンス社から海軍高官(山本権兵衛の部下にあたる)に賄賂が出ていたことが発覚。これが原因で山本権兵衛内閣は総辞職する。(写真は2022 成蹊大)
テストには出ないが、山本権兵衛の「権兵衛」の読み方について。中学の時、学年トップだったことと言い争ったことがある。自分は「ごんびょうえ」と読んだのだが、トップの子は「ごんのひょえ」だと言う。今は「ごんべい」と書かれていることが多いが、「ごんのひょうえ」とも読めるらしい。
第一次山本権兵衛総辞職の後、徳川家16代当主の徳川家達(いえさと)が首相候補になるも徳川家が反対。次に清浦奎吾が候補にあがるも大臣を揃えられず断念。元老の山県有朋は試行錯誤の末、庶民に人気のあった大隈重信を桂太郎が作った立憲同志会を与党にして組閣させる。次回は第二次大隈重信。
12:50教室入室
13:20岩出中3生入室 「わかる数学ができていないので、今日の英語の授業を数学に変えることができませんか?」対応できそうだったのでチェンジする。
13:30授業スタート。授業に入る。岩出中3生 数学 わかる数学 平方根。この生徒も今日は英語だったのに数学の用意を持ってきていたので数学に切り替えた。
15:00岩出小6生 国算 分数の割り算など。岩出中3生 社会 歴史の学習 昭和初期。
16:30紀北農芸高2生 世界史 スペイン全盛期、イギリス、フランス絶対王政。今日は数Aだったのだが、数Ⅰを持ってきていたので世界史に切り替え。昨日、生物の問題集を持ってきていなかったことを気にしていた。田植えをしたが、もうやりたくないそうだ。
18:15那賀高3生よりtelあり。クラブが終わったので今から塾へ行く。
18:40那賀高3生入室。日本史 10分間テスト 豊臣秀吉。野球部初戦は桐蔭高校に決まったそう。
21:00授業終了。明日も13:30より授業。