奇数週木曜更新 世界史イギリス王室・首相編 今日は第三次マクドナルド内閣(1931年~1935年)

第2次マクドナルド労働党内閣が崩壊したとき、イギリス国王ジョージ5世が仲介に動いた。労働党から除名されたマクドナルドを再び首班とすることで、保守党と自由党を加え、挙国一致内閣を樹立しようというのである。それによってマクドナルド挙国一致内閣が成立し、内閣は直ちに国民の信を問うとして総選挙を行った。その結果、挙国一致内閣を維持することを掲げた保守党が圧勝し、反対した労働党は惨敗。総選挙後もマクドナルドは首相としてとどまったが、これは挙国一致の建前のために過ぎず、その実態は保守党内閣に等しいものであった。

世界恐慌への対応

金本位制からの離脱イギリスの金流出の真の原因は、世界恐慌が波及したドイツからの賠償金がストップし、債務が急増、国際収支が悪化したことである。このようなイギリスの金融不安が強まると、イギリスの通貨であるポンドが売られ、その価値が急落した。金本位制と言うことは、ポンドをいつでも金に換えられると言うことなので、ポンドが売られることによってイギリスの金が流出することを意味していた。
 イングランド銀行はついに金本位制を放棄せざるを得なくなり、金本位制を停止する法律を可決する(1931年)

なお、フランクリン=ローズヴェルト大統領もアメリカの金本位制停止に踏み切り(1933年)、ここに世界の金本位制は崩壊し、管理通貨制度に移行した。

オタワ連邦会議の開催→世界恐慌下のイギリス経済の対応するために、1932年、カナダのオタワに招集した自治領(ドミニオン)諸国による経済会議。

 参加国は、イギリス本国と、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ・アイルランド自由国・ニューファンドランド(1949年にカナダに加入するまでは独立した自治領だった)それに加えインドと南ローデシア(南アフリカ共和国の北東)が直轄植民地として参加した。

スターリング=ブロック保護関税法による保護貿易主義→イギリス本国は自治領の本国製品に対する関税の大幅引き下げ、あるいは連邦内の自由貿易を進展させようとしたが、カナダなど自治領側は本国に強く抵抗した。結局、連邦全体の包括的な協定は策定できず、イギリスと各自治領の個別に協定を結んだ(オタワ協定)このオタワ協定によってイギリスを中心とした関税特恵体制によって結びつけられた貿易圏=関税ブロックが成立し、それを補完する通貨金融の経済圏=通貨ブロックであるスターリング=ブロック(ポンド=ブロック、ともいう。連邦外の国に対して高関税を課すこと。ソ連のスターリンとは関係ない)と混じって、ブロック経済を構築したとされている。(写真はブロック経済の記述がある高校世界史教科書より)

しかし、マクドナルド自身は労働党から離れ、国民労働党を組織したため、労働党からは「裏切り者」と見られ、党勢は伸びず、国民的支持もなかった。1935年に首相の座を保守党のボールドウィンに譲って実質的に引退した。

そのボールドウインは1937年に首相を辞職し、チェンバレンが首相となる

次回はチェンバレン

14:30教室入室

16:30授業スタート 二中2、3年の中間テスト範囲表プリントをコピーさせてもらう。

17:45那賀高3生がやってきた 授業に入る 英語 ランドマークワークLesson7仕上げた後、整理と演習 動名詞、分詞 来週㈭は体育祭のため休にしてあさって㈯に変更

18:00二中3生 社会 社会の学習 6ページ(現代社会、憲法、人権思想) 直接指導したのは今日がはじめて 説明問題で質問あり 理解できました。

18:15中3生母より休のtel

19:30授業終了

雨が降ったせいか、帰りは少し涼しかった

明日も16:30より授業