
土曜更新 日本史 戦国大名編 今日も豊臣秀吉 朝鮮出兵に関して
16世紀後半の東アジアでは朝貢貿易と海禁政策を基本とする中国中心の伝統的な国際秩序が、明の国力の衰退により変化しつつあった。日本全国を統一した秀吉は、日本を東アジアの中心とする新しい国際秩序をつくることを志し、ゴアのポルトガル政庁、マニラのスペイン政庁、高山国(台湾)などの服属と朝貢を求めた(結局、どこも応じず)
1587年、秀吉は対馬の宗氏を通じて、朝鮮に対し入貢と明への出兵をするための先導を求めた。朝鮮がこれを拒否すると、秀吉は肥前(佐賀県)の名護屋に本陣をきずき、1592年、15万余りの大軍を朝鮮に派兵した(文禄の役) *名護屋は名古屋(愛知県)ではないことに注意。
釜山に上陸した日本軍は鉄砲の威力などによってまもなく漢城(ソウル)・平壌(ピョンヤン)を占領したが、李舜臣の率いる朝鮮水軍の活躍や朝鮮義兵の抵抗、明の援軍により、しだいに戦況は不利になった。
そのため現地の日本人は休戦し、秀吉に明との講和を求めたが、秀吉が強硬な姿勢をとり続けたため交渉は決裂した。
1597年、秀吉は再び朝鮮に14万余りの兵をおくったが、(慶長の役)、日本軍は最初から苦戦をしいられ、翌年秀吉が病死すると撤兵した。 *朝鮮出兵は2回(文禄の役→慶長の役)ある。
前後7年におよぶ日本軍の朝鮮侵略は、朝鮮の人々を戦火に巻き込み、多くの被害を与えた。また国内的には、膨大な戦費と兵力を費やす結果となり、豊臣政権を衰退させる原因となった。
次回も豊臣秀吉 桃山文化について
14:30教室入室
15:00授業スタート 授業に入る 中3生 社会 北海道 地理が一通り終わったので、歴史へ 四大文明~古墳時代 最近休まなくなった この調子だ。
16:30授業終了 粉河高中間テスト対策郵送 那賀高、紀北工業高のテスト対策作成中 連休中に教室内バルサン消毒する予定 明日、明後日は休
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