土曜更新 日本史 征夷大将軍編 今日も徳川秀忠 江戸幕府2代将軍(写真は那賀高定期テスト過去問)
①武家諸法(1615年:元和令)制定→大坂の役直後に大名の居城を一つに限り(一国一城令)、さらに大名統制のため を制定 金地院崇伝起草、徳川秀忠の名で発布されるも徳川家康は存命だったので家康の意向が入っているといわれる。1619年には福島正則を武家諸法度違反(広島城の無断修復)で改易するのなど、法度を遵守させるとともに長く功績のあった外様大名をも処分できる将軍の力量を示した。
武家諸法度は将軍の代がわりで修正が加わることがあったが、テストでよく出るのは徳川秀忠の元和令と参勤交代の条文を加えた徳川家光の寛永令である。
②禁中並公家諸法度(1615年)→朝廷統制の基準を明示 京都所司代らに朝廷を監視させたほか、武家伝奏(ぶけでんそう:幕府から役料(給料のようなもの)を受けた公家から2人選ばれ、朝廷と幕府をつなぐ窓口になった 京都所司代と連絡をとりながら、朝廷に幕府側の指示を与える)を通じて操作しようとした。
1620年には徳川秀忠の娘:和子(かずこ:東福門院)を後水尾天皇に入内させ、皇室との結びつきを強めようとした。(参考:日本史天皇編48後水尾天皇)
③外国船の寄港地を平戸と長崎に制限(1616年)→西国の大名でなく江戸幕府が貿易の利益を独占するため
この時、中国船だけは制限を受けなかった。
徳川秀忠は徳川家康にならい、将軍職を長男の徳川家光に譲り、大御所として幕府権力の基礎がためを行った(1623年)
次回は徳川家光
12:50教室入室
13:30授業スタート
13:50那賀高3生2人に昨日の政経の塾業1コマだけでは不十分かと思い、明日、英語の残り時間に政経をするので準備してくるようはなし。
16:30授業に入る 粉河高2生 英語 ランドマークワークLesson2もう一度 30分ほど時間が余ったので日本史のテスト範囲(飛鳥、奈良時代)を説明した 興味深くきいてくれました。
18:00粉河高2生 世界史 学校ワーク 三国時代~唐、インダス文明 昼に用事があったようで疲れていた。
19:30授業終了 明日も13:30より授業