土曜更新 日本史征夷大将軍編 今日は宗尊親王(在任:1252~ 1266)鎌倉幕府6代将軍
テストにでるポイントしては、初の皇族(宮)将軍であること、摂家将軍(4代藤原頼経、5代頼嗣)→皇族(宮)将軍(6代宗尊親王)になることをおさえておけばいい。
1242年、後嵯峨天皇と平棟子との間に生まれた宗尊親王は、持明院統の後深草天皇と大覚寺統の亀山天皇の兄にあたる。長男であることから次の天皇と思いきや、母棟子の身分が低かったことから、天皇になる道は最初から閉ざされていた。最初から天皇になる予定がなかったため、鎌倉に将軍として下向するまでは広大な荘園群の継承予定者であった。
1252年、5代将軍藤原頼嗣を追放した鎌倉幕府は、後継に後嵯峨上皇の皇子の下向を要請。後嵯峨上皇は、鎌倉幕府によって擁立された経緯があったので、幕府に好意的でした。後鳥羽上皇のように幕府の要請を拒否することはなく、宗尊親王が決まり、北条政子・義時以来の宿願だった皇族将軍を、ついに幕府は頂くことになる。皇族将軍によって、幕府の権威は急激に高まるも、実権は北条氏が握っていくことになり、鎌倉幕府滅亡まで皇族将軍が続くことになる。
なお、鎌倉幕府滅亡時の征夷大将軍は9代守邦親王だが、北条高時は自害したとあるものの、守邦親王へのお咎めはなかった、というか歴史書(太平記(作者不詳:軍記物)、神皇正統記(北畠親房著:南朝寄り)、梅松論(作者不明:北朝寄り)など)での記述がなく、形だけの将軍であったことが伺える。
次回は足利尊氏
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