土曜更新日本史戦国大名編 今日も徳川家康 関ケ原の戦い後の処理について
石田三成は捕まり三条河原というところで小西行長・安国寺恵瓊などと共に打ち首に。
家康は東軍についた武将たちに領地を与え、家康自身の領地も255万石から400万石に増
その一方で西軍についた武将は改易(領地没収)や減封(領地削減)される。
直江状を送り家康に対立した上杉家は会津120万石から米沢37万石に、西軍の実質的な総大将であった毛利家は広島112万石から萩37万石など3分の2の大幅な領地を失うことに。
豊臣家は関ヶ原の戦いには参加していないものの、三成を討伐した大名たちに領地をあげるという名目のもとで220万石から65万石まで減らされる。
これによって徳川家と豊臣家の勢力が逆転する。
*親藩→徳川氏一門の御三家(尾張・紀伊・水戸)、譜代→はじめから徳川氏の家臣であった大名、外様→関ケ原の戦い前後に徳川氏に従った大名 これらの大名の配置にあたっては、親藩・譜代を要所に、外様はなるべく遠隔地に配置した。
親藩・譜代・外様に分けた全国の土地領有者としての地位明示は家康が亡くなった1年後の1617年に2代将軍秀忠によって出されたもので、家康の話からはずれるが、関ケ原の戦いがらみでは、このことが一番テストに出る(中高とも)なので記載した。
関ケ原の戦いの後、徳川家康は征夷大将軍となり江戸幕府を開き(参照:日本史征夷大将軍編24徳川家康)、大坂夏、冬の陣で豊臣氏を滅ぼし(参照:日本史征夷大将軍編26徳川秀忠中編大御所徳川家康後編)江戸幕府の基礎をかためた。
次回も徳川家康 まとめと三英傑 餅つきの歌について
12:55教室入室
13:05和大附中1生がやってきた 「授業は13:30からだけれどどうする?」と聞くと車が下にいるらしくいったん退出した
13:30授業スタート
15:00授業に入る 和大附中1生 社会 歴史の学習 古代、年表 テスト範囲のプリントをコピーさせてもらう 明日は1コマ社会を入れる予定だったが、英語の提出があるとのことで英語に変更。中3生 社会 朱印船貿易~寛政の改革
16:30授業終了
明日は和大附中生テスト対策 13:30より授業






