土曜更新 日本史戦国大名編 今日も徳川家康
豊臣秀吉は北条氏を降伏させ、全国統一した後、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)では名護屋(肥前)に在陣したのみで、家康は朝鮮に渡航はせずに済んでいる。
五大老の筆頭になる→1598年の夏、病の床にあった秀吉は遺言状を残します。幼い秀頼をまもるため、五大老・五奉行を定めることに。
五大老に徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝
五奉行に浅野長政・石田光成・増田長盛・長束正家・前田玄以
豊臣秀吉の死後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位になり、また秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という遺言を受けていたため五大老筆頭と目されるようになる。また生前の秀吉によりに禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行い、婚約した娘は、全て家康の養女とした。(例えば、伊達政宗の長女:五郎八(いろは)姫と家康の六男:松平忠輝)
こうした家康に対し反感を持った前田利家、石田光成は家康に詰問 家康は謝罪する(1599年2月2日)
同年3月3日、前田利家が亡くなる。その夜、石田光成のことを快く思っていなかった福島正則や加藤清正らが石田三成のいる屋敷を襲撃。家康が仲介して事を収めた。光成は五奉行から退き、佐和山城(滋賀県彦根市)に蟄居
この後、家康は大坂城に入って政を行うことになる。家康は秀吉の蔵入地(直轄地)の一部を大名に配分したことから、光成などの不信をかう。
次回も徳川家康 関ケ原の戦いについて
13:35教室入室
14:10中1生父母入室され、懇談 この時間帯、陽が差し込むので面談スペースをコピー機よりに移動させて設定 懇談終了後、テーブルを元の位置に戻す作業を手伝ってくださった。
15:05中3生母より休のtel
18:15授業に入る 粉河高3生 政経 1学期末テスト問題 1学期末テストと2学期中間テストの答えがなかったので、今日は1学期末テストをいっしょにしていった 化学を塾で勉強することを母親が許してくれたとのことで再来週から3月末まで化学をしていくことになった。
19:30授業終了 明日は休
明後日(12(月祝))は粉河高3生の学年末テスト対策 13:30より授業 通常授業はありません。






