土曜更新 日本史戦国大名編 今日も織田信雄 織田信長の次男 小牧長久手の戦いの続き。

秀吉信雄の領土であった尾張犬山城を占領。それに対抗して家康は近くの小牧山城に入り、両軍は対立状態に突入。

池田恒興は秀吉に対して奇襲攻撃を提案。その内容は小牧山城にいる家康を引きつけながら2万の大軍で家康の領内にある重要な城であった岡崎城を攻めるというもの。

秀吉は早速甥の羽柴秀次に2万の兵を与えて岡崎に進軍。

家康はそんな羽柴軍に対して逆奇襲。奇襲を受けた羽柴軍は大混乱。総大将だった秀次は命からがら犬山城に戻るも、池田恒興と森長可はこの戦いによって討死。

この頃、長宗我部元親が四国を統一し、秀吉小牧長久手の戦いに集中できなくなっていた。そこで秀吉家康と戦うのではなく信雄にへりくだり昔話などをして和睦。家康秀吉と戦う理由がなくなってしまう。(家康もこの後秀吉に臣従 秀吉は自分の妹を家康の嫁に 母を人質に出して家康を大坂城に来させた)

その後、信雄豊臣秀吉に臣従し、小田原征伐(1590年)に出陣 この小田原征伐で織田信雄は多大な功績を残すも、豊臣秀吉に三河・遠江への転封を命じられると、父・織田信長や祖父・織田信秀の故郷尾張からの移動することを嫌がり、転封を拒否。

これによって豊臣秀吉の怒りを買うと改易されることとなり、改易後は下野国烏山へと流罪

秀吉の死後、家康の庇護を受ける形で、大和宇陀に5万石の領地を与えられ、大名として復帰。しかし、政治的に不用意な行動を取ったことや、家康の信任を完全には得られなかったことから、信雄は再び改易される(1608年)

その後、信雄の子孫は江戸幕府の旗本となり、織田家の血はつながっていくことになります。

次回は大村純忠

12:50教室入室

13:20二中3生が入室

13:30志望校判定テストスタート

15:00授業スタート 授業に入る 中3生 社会 室町時代、十字軍、ルネサンス、宗教改革

16:30授業終了

16:50志望校判定テスト終了 今日初受験だった二中3生はあまりできなくて凹んでいたが、復習テストより難しいことなど話すと「がんばります!」と言ってくれた

その後、採点 苦戦している科目もあるが、出来ているもの、まだ伸びる余地がありそうなものなどアドバイスできそうだ

月謝案内郵送 明日は夕方に期末テスト対策日程表を作りに教室に行くことに 授業は休

明日のブログは更新しません ㈪は16:30より授業