土曜更新 日本史征夷大将軍編 今日は徳川家斉(在位:1773~1841年)江戸幕府第11代将軍 徳川家斉といえば大奥に入れ浸りで子供をたくさん(50人超)つくったイメージ…
徳川家斉は15歳で将軍となり、田沼意次を罷免 白河藩(福島)主で徳川吉宗の孫である松平定信を老中首座に任命 徳川家斉前半の治世=松平定信の寛政の改革といえる。
寛政・天保)で共通することは「倹約」である。
は三大改革の中間の時代(享保・①旧里帰農令→農村から出稼ぎで江戸にきて生業の持たないものに資金を与えて農村に帰ることを奨励した 天保の改革の人返しの法と意味は同じだが、人返しの法の方が強制的という感じである。
②囲米(かこいまい)→飢饉に備えて、各地に社倉・義倉をつくらせて米穀を蓄えさせた。
③七分積金→町々に町費節約を命じ、節約分の7割を積み立てさせた。
貯金は自分でするのならいいのなら囲米や七分積金のように言われて積み立てるのは息苦しく感じるものだ この辺り松平定信の悪い意味での真面目さ、かたさがみられる。
④人足寄場(にんそくよせば)を石川島に設ける→無宿人を強制的に収容し、技術を身につけ職業を持たせようとこころみた。
⑤棄捐令(きえんれい)→困窮する旗本・御家人を救済するため、米の売却などを扱う札差(ふださし)に貸金を放棄させた 徳政令に近い感じか
次回も徳川家斉 寛政の改革の行き詰まりと徳川家斉の政治について
14:25教室入室
16:30授業スタート 授業に入る 粉河高2生 英語 ランドマークワーク Lesson6 朝は2時間ほど3trail数Ⅱを勉強したとのこと
18:00授業終了 高校生期末テスト対策日程表郵送 明日は休
㈪は16:30より授業