土曜更新 日本史征夷他将軍編 今日は足利義昭(在任1568~1573(1588?))室町幕府最後の15代将軍

足利義昭は将軍になりたい気持ちがあったため、朝倉義景のもとに身を寄せるもそれよりも勢いのあった織田信長を頼る も上洛の好機とみて協力。

①キリスト教布教許可(1569年)→織田信長はルイス・フロイスにキリスト教布教を許可 織田信長が南蛮貿易の利益を得たいだけでなく、仏教の既存勢力を嫌っていたことがうかがえる。

姉川戦い(1570年)→近江の姉川織田信長徳川家康の連合軍と朝倉義景浅井長政の連合軍の間で起きた合戦  もともとは朝倉義景が上洛の命があってもしなかったことが原因で起こったのだが、織田信長の妹お市が嫁いでいた浅井長政の裏切りで織田信長は窮地に なんとか京へ撤退する なお豊臣秀吉はこの戦いで殿(しんがり:後詰めのこと)であったが逃げのび、織田信長豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎秀吉)、徳川家康は再会できたことを喜びあったという。

③石山合戦(1570~80)→一向宗(浄土真宗)と本拠地といえば加賀(石川県)だが、京都より遠く信者の往来が困難なことから石山本願寺(大阪城があるところ)を本拠地に変えていた 堺が欲しかった織田信長は石山本願寺の明け渡しを要求するも浄土真宗本願寺がよしとするわけがなく、石山合戦が起こる 石山以外でも一向一揆は多発し、特に長島(三重県北部)の一向一揆は根絶やしにするのに4年の歳月を要している また加賀、越前の一向宗も弾圧することに成功 石山本願寺の顕如(けんにょ)とは織田信長優位で和睦をするに至る。

④比叡山焼き討ち(1571年)→織田信長家臣・森可成が守る宇佐山城(滋賀県大津市)付近で戦が起こり敵方には比叡山延暦寺の僧兵も加わったため劣勢になり敗退。森可成は戦死するも、城は落城することなく持ちこたえる。その後、浅井・朝倉軍は山科や醍醐に放火しながら足利義昭のいる京に迫ったことから、織田信長は石山本願寺との戦いから一時撤退し、京に戻ると浅井・朝倉軍は比叡山に逃げ込んでしまう。

織田信長は比叡山延暦寺に対し、浅井・朝倉軍に味方にならないよう説得。しかし比叡山延暦寺から返答がなかったことから、比叡山を焼き討ちする。

次回も足利義昭 室町幕府滅亡について

12:50教室入室

13:25岩出中3生がやってきた

13:30授業スタート 授業に入る 岩出中3生 社会 白プリント1枚(日清・日露・韓国併合)白プリントを忘れてきたので、持って来ていた岩出中3生にコピーさせてもらった。岩出中3生 社会 白プリント2枚め発展の途中まで 白プリントは学校に忘れてきたとのことで、同じ生徒にコピーさせてもらった。

15:00岩出中3生 英語 白プリント、過去問 家族はみなどこかへ行ってしまったらしい。岩出中3生 白プリント2枚の後、過去問少し 直接指導したのははじめて 教えやすかった これから楽しみだ。

16:30岩出中3生 英語 白プリント、過去問 瓶と缶(ホテルいとう近くにある店)のはなし りら創造芸術に行く話があったが、土曜に授業があるから和総志望に変えたとのこと その程度の気持ちならりらには行かないほうがいいだろうな。

18:00授業終了

18:05昨日、問い合わせのあった二中1生母本人入室 体験英数でしていくことに 塾生から塾の話をきいいた これで定員に達したので、生徒募集は休止することに 生徒募集状況は日曜開校日にお知らせします

明日は岩出中学の中間テスト対策 13:30より授業