奇数週木曜更新 世界史イギリス王室・首相編 第二次マクドナルド首相(在職:1929年6月~1931年8月)

1924年の総選挙から5年が経過し、1929年5月に庶民院総選挙が行われることになったボールドウィン内閣は1928年に選挙法を改正し、21歳以上の全ての女性に選挙権を認めた(第5回選挙法改正)ため、1929年総選挙は、イギリス初の男女平等選挙権が認められた上での選挙となった。

選挙の結果、労働党が第一党、保守党が第二党、自由党が第三党となり、第一党の労働党の党首マクドナルド第二次マクドナルド内閣を組閣する。

①外交政策→マクドナルド訪米してフーヴァー大統領(世界史アメリカ大統領編13フーヴァー参照)と会見し、英米の友好関係の維持を図った。また、前ボールドウィン保守党政権下で断絶していたソ連との国交を回復させる

さらにロンドン海軍軍縮会議(日本史内閣総理大臣編浜口雄幸(後編)①参照)を主宰し、各国の軍縮を呼び掛けた[インド問題では、インド自治を容認する意向を示し、マハトマ・ガンディーと会談

世界恐慌の対応→内政では世界対応の対応に追われた。1929年10月24日にアメリカの株式市場の暴落があり、世界恐慌が発生。アメリカを市場としていたイギリスの輸出産業は大打撃を受け、1930年にイギリスの失業者は170万人を超えた

元首相のロイド・ジョージはかねてからの自身の公約であった公共事業による失業者対策を実施するよう政府に要請したが、マクドナルドは緊縮財政によるインフレの抑制が必要だとして実行せず。

国家財政の破綻を防ぐため、マクドナルドは費用がふくらむ失業手当1割削減を求めたが反発する閣僚も多く、党内の大勢は反対であった。

マクドナルドは政権を取りまとめることは不可能と判断し、同日夜22時に内閣総辞職する旨を国王ジョージ5世に奏上した。しかしジョージ5世は総辞職を認めず、「あなた(マクドナルド)は挙国一致内閣を組閣すべきである。あなたが、この国難に際して政権を投げ出すよりは、むしろ首相の座に留まって、それに対処した方が、あなたの地位と名声を高めるであろう」と述べた。

ジョージ5世はバッキンガム宮殿で三党の党首を集めた御前会議を開いた。この席上で、失業手当1割削減の合意が行われ、マクドナルドをそのまま首班とし、彼を支持する労働党の一派(ごく少数)・保守党・自由党による挙国一致内閣が新たに成立した。

次回は第三次マクドナルド(挙国一致)内閣

14:30教室入室

16:00那賀高3生入室

16:05授業を始める 那賀高3生 英語 ランドマークワークLesson6(ムヒカ大統領) の後、ブライトステージ明日の小テスト範囲(~17:35)

16:55粉河高2生入室 授業開始(18:00)まで教室内で自習

17:25二中2生より体調不良で休のtelあり

19:35粉河高2生が教室の数B教科書を持って帰ったようだ 次回来たときにきいてみることにする

21:00授業終了 台風15号接近中 学校の授業は影響がでるかもしれないが、夕方には落ち着きそうなので塾授業はだいじょうぶかな?

中間テスト対策日程表 二中は最終確認中(来週はじめに郵送予定) 岩出中学、和総の日程表を作りはじめる。

明日も16:30より授業