奇数週木曜更新 世界史 イギリス王室・首相編 今日はヴィクトリア女王(在位:1837~1901年)

伯父ウィリアム4世の死によって、わずか18歳でイギリスハノーヴァー朝の女王となった。それから64年間、イギリス女王として君臨。イギリス帝国が最も繁栄した時代である。

ヴィクトリア女王の治世は長くポイントが多いので6回にわたって書くことにする。今回はディズレーリ・グラッドストン両首相が出る前まで約30年のイギリス国内政策をおっていく。

産業革命を経た19世紀半ばのイギリスは「世界の工場」として繁栄の絶頂にあった。

ロンドン万国博覧会開かれる(1851年)→延べ600万人以上来場 国内外にイギリスの近代工業力の成果を誇示した。世界で最初の博覧会である。

チャーティスト運動(1838~1848年)→当時ヨーロッパの大陸諸国は、ウィーン体制のもとで、自由主義・ナショナリズムが抑圧されていたので、第一回選挙法改正で選挙権が認められなかった都市の労働者が参政権を求めて立ち上がったことは強い影響を与えた。イギリスで盛んになった選挙権要求などの都市労働者の運動。人民憲章を掲げて普通選挙実現を議会に請願。イギリスの選挙法改正は6度に渡るが、ヴィクトリア女王の治世では第二回選挙法改正(1867年:参政権を都市労働者に拡大→有権者比9%)、第三回選挙法改正(1884年:参政権を農村・炭鉱労働者に拡大、小選挙区制採用・秘密選挙制成立→有権者比19%)

穀物法廃止(1846年)→穀物法とは1815年、イギリス議会が地主を保護するために制定した穀物の輸入を制限する法律。穀物価格の騰貴を招き、労働者・産業資本家に反対運動が強まり、廃止される。

航海法廃止(1849年)→航海法はピューリタン革命の時、クロムウェルが1651年に制定したもので、イギリスに運ばれるヨーロッパ以外の産物、商品はすべてイギリスの船で運ばれること、またヨーロッパの産物、商品はイギリス船かその産出国の船で運ばれることを定めた。ねらいは、当時海上貿易権で争っていたオランダが中継貿易(自国産品でない商品を中継する)で利益を上げていたことに打撃を与えることであり、英蘭戦争が勃発。その後も約200年にわたり、イギリスの保護貿易政策の一環として、継承されていた。
 産業革命後、成長した産業資本家たちはイギリス産品を自由に輸出するためには航海法は障害になるとして廃止を主張し、1849年に実現した。なお、この時は厳密には沿岸貿易以外の自由化であり、沿岸貿易の自由化は1854年であった。

次回もヴィクトリア女王 治世前半の対外政策について

14:30教室入室

15:10那賀高3生入室 しばらく自習 早く終わってもだいじょうぶということで、授業をはじめる(~16:55)

15:25那賀高3生 英語 ランドマークワークLesson1の1、2、ブライトステージ401~430 遠足は大阪万博とのこと

17:05粉河高2生入室 授業開始(18:00)まで教室内で自習 中間テスト対策をするかどうか テスト期間どこか1日クラブで万博に行かなければいけないらしいが、そこは休み→どこかに振替にしてテスト対策日程表を作ることに

17:45二中2生母よりtel 今日は学校に行ったが体調不良を訴えるので休

18:30那賀高2生 那賀高 5/1(木)が球技大会で2㈮が遠足?日付が逆かと思っていたが   那高生は全学年遠足は大阪万博のようだ

19:15二中2生母よりtel 本人、目が痛い?ので休

21:00授業終了 二中の中間テスト対策日程表を作りはじめる 明日も16:30より授業